こんな僕も、かつては高校生だった。
当時の僕は、今となっては信じられないほどバイタリティに溢れていた。
毎日が面白くて、仕様がなかった。
自由奔放な人だらけでてんでまとまりがないクラスも、お互いの価値観を認め合い、技を高め合った軽音楽部も、毎日が僕に新しい刺激を提供してくれた。
毎日5時間程度の睡眠時間でも、へっちゃらだった。
朝6時前に起き、常滑から名古屋の高校まで一時間半の通学。ときには満員電車に揺られ、ストレスで朝から腹を下すことがあっても、それを超える鮮やかな感動が、毎日のように降りかかった。
けれど僕は人間関係をリセットする悪癖があるから、大学に進学してからは一度も高校の頃の同級生と連絡を取っていなかった。
僕の中では、あの頃からクラスメイト達の時間が止まっていた。
角刈りに近い髪型でもまるで周囲の目を気にしない男や、自分の趣味のことばかり追求する唯我独尊の女。
そういった混沌としたクラスの風景が、今もまぶたの裏に張り付いている。
久しぶりに会った同級生たちは、皆一様に酒を飲んでいた。当時はほとんどの人が興味を示さなかった日本酒を、嬉しそうに御猪口ですする人もいた。僕もビールなんて苦い汁をありがたがるようになった。
止まっていた時間とのギャップに、少し戸惑った。
高校生の時点で小学12年生といった趣きのあった男は、つい先日結婚をしたらしい。
けれど彼は、いまだ小学生の延長戦を繰り返しているかのように、むき出しの童心のままだつた。
かと思えば、旦那との離婚調停の最中だという人もいた。
人は変わる。人が変わるという事実だけが、いつの時代も変わらないことだと思う。きっと僕も、当時と比べて変わった。一般の視点から見れば決して明るくない歌を歌うようになったし、文学にかぶれて、幾分か落ち着いた性格になったと思う。当時気に食わなくて仕様がなかったことも、大概は気にならなくなった。
けれど、久々に会った友達は、僕のことをあんまり変わっていないと言った。
こんな風に、ひとは歳をとっていくんだろうか。それが少し嬉しいし、寂しくもある。
けれど、中学生だった頃に学校にきちんと通えなかった僕が、二度も鬱になってしまった僕が、高校生の頃は本当に心から毎日笑えていた気がする。
その事実だけは、ただあたたかい記憶として、胸の内に秘めておけたらいい。