ボタンダウンシャツは風を孕んで

連日の雨で心がどんより。今日のライブに行くことがとてもこわい。

 

空はもう晴れているが、春を予感させる薄水色の曖昧な空は、かえって不安を煽る。

 

つい先週ライブしたはずなのに、やっぱりバンドと弾き語りってのはまたちょっと勝手が違うのよね。弾き語りは孤独。

 

俺から君に手渡せるものなんてあるのだろうか。俺はいつになったら心から自信を持てるのだろうか。

 

電車の窓から外の景色を見ようとしたら、向かいの席に座っている人と目が合って気まずい。誰が悪いでもないのに。

 

表現者の端くれであるというのに、ちっとも言葉が出てこない。自分の心を適切に表現する言葉が見つからずもやもやとしている日が多い。

 

言葉にできないから音楽という手段を選ぶのだろうか。その割にはポエトリーだのなんだの、やたら言葉を詰めようとするし、いろんな文学からの引用を試みたりする。かと思えば、偏差値2みたいな安直な言葉だけで歌を書くこともあるし。

 

おれは一貫性がない。だが一貫性がないことすら俺だと言えるようになりたいのだよな、本当は。

 

世界観がどうの、主義がどうの、一貫したスタンスがどうの、もう喧しいわ、って心のどっかで思ってるんだよ。

 

こうやって脈絡のない文章を書いているとふしぎと落ち着く。電車に出たり入ったりする人を横目に、ただ本当に生産性のないことをしていると、却って人の目とか羞恥心とかどうでもよくなってくる。

 

どうでもいい。なにもかもどうでも良くなる日を待ち望んでいる。そしたらいろんなことが苦しくなくなるだろうか。けれどその代わりいろんな喜びにも鈍くなってしまわないだろうか。

 

本当はそれが寂しい生き方だと気付いてしまっている。だから僕はできるだけいろんなことに落ち込んだり喜んだりしていたい。

 

今日出演するROLLINGMANは猥褻な店と同じビルにある。

あのちょっと気まずい空間を抜けた先に、せめて今日の希望を見出せますように。

そうしてライブを見に来てくれた君が、せめて後悔しませんように。

 

そんな歌が歌えますように。

飯屋って苗字、メシアみたいでかっこいい

あけました。2024年。

 

めでたい人も、全然めでたくない人も、今日まで生きてきてえらい。今日まで生きてこんな全然売れてないミュージシャンのブログ見にきてくれてありがとう。

 

それだけで君がとてもやさしい人だってわかる。僕の歌聞いて僕のこと気にかけてくれる人はみんなとてつもなくやさしい人だ。それだけはわかる。君がやさしいままで、ときどき間違えたり後悔したりしても、それでもやさしいままで今日まで生きてくれたこと、少なくともそれは僕にとって嬉しいし、僕がこの世界を生きる理由のひとつになってるよ。だから、生きててくれて本当にありがとう。

 

それで本題なんだけど、僕は昨日SLYで2024年最初のライブをしてきた。

 

年を跨いだからなんだという話ではあるものの、僕としてはライブの間隔が3週間ぐらい空くとそれだけでライブに対する姿勢が揺らぐことがあるから、すこし心配していた。

 

SLYは僕が7年ぐらい前にはじめてアコースティックで出演したライブバー。

 

あの頃自分が出ていたライブは、もううまく思い出せない日が多いんだけど,アコースティックでライブすること自体珍しかったのもあって、SLYのことだけはずっと覚えていた。

 

マスターのシンゴさんが、名古屋で一番歌が上手いのではないかと思わされるほどの圧倒的な歌唱力の持ち主であることも、強烈に印象に残っていた要因であったり。

 

そんなシンゴさんが、めずらしくブッキングライブを組むという。僕にその白羽の矢が立った。

 

その時僕の心にあったのは、

「7年前とは違うぜ」なんてところを見せつけたい虚栄心と。

「でもそんなに成長してないかもしれない」という自信のなさと。

「シンゴさんが選んだ演者さんなんてみんな良いに決まってるから俺なんかがそこに並んでいいのかな」という心配と。

「2024年初のライブは素晴らしい演奏をして良いスタートダッシュを切りたい」というとてもくだらない意気込みと。

 

そんな思いを抱えて臨んだ。

 

けどね、共演者の方々のライブ見てたら、そういうの全部吹き飛んだよ。

 

「ちゃんとしたライブに出るのは初めてなんです」っていうタクミさんのあの緊張感と、それでも今日この日を楽しもうっていう姿と。なにかに挑戦する姿はいつだってきれいだ。初めてライブする人がいるってだけで、もうその夜はうつくしいんだよな。

 

ヅミキさんは、どこまでも自由で、次になにを言い出すか予測がつかなくて。そんな姿がSLYにいた人たちの心を瞬時にときほぐした。それなのに、歌い始めると、きっとこの人はものすごく繊細できめ細やかな心で、世の中の美しさも汚濁も見つめてきたんだろうなと想像してしまうほど懐が深くて。必要以上に語りすぎない歌の余白が、どこまでも心地よかった。

 

そして、自分の出番の前に盛大に泣かされてしまった。

櫻小町さんの、人生全部乗せたようなライブが、あまりにもうつくしくて、ぼろぼろに泣いてしまった。

 

だってあの人、絶対にやさしいんだ。

ライブの前にDMでわざわざ挨拶してくれて、当日も初対面の僕に屈託のない笑顔で挨拶してくれて、ベテランなのに全然偉そうじゃなくて。

 

そんな人が、自分の歩んできた人生の挫折を、味わってきた苦しみを、ぜんぶさらけ出して歌っているのだよ。

それなのに、「泣いてもしょうがないから、僕らは歌うか笑うかしかない」なんてことを言って、本当に溌剌と笑っているんだよ。

 

それがあんまりにも美しくてね、櫻小町さんの歩んできた人生をたくさん想像して、それでも伸びやかな、どこまでも通る声で歌う姿を見て、僕は本当に涙が止まらなくなってしまった。音楽の本質を見た気がした。

 

だから、自分の演奏が始まる前には,もうかなり顔も喉も鼻もぐしゃぐしゃになってしまっていた。

 

でも、そのおかげか、いつも以上に自分の書いた歌詞を、噛み締めるように、ちゃんと届くように歌えたような気がする。

 

昨日は珍しいぐらい盛大なミスをしてしまったのだけど、それでも自分の伝えたいことがとめどなく溢れてきた。母親が自殺したこと、鬱になったこと、学校に行けなかったこと。そこまで言わなくていいだろ、ってところまで踏み込んでしまった。それでも全部言いたくなった。

 

お客さんの反応なんかもうどうでもいいと思いながら歌って、話した。

それなのに、昨日SLYにいた人たちはみんな本当にあたたかくて、僕が吐露したそんな子供じみた思いを、わかるよって頷きながら聞いてくれていた。

 

終演後、お子さんと一緒に来ていたお客さんがハグしてくれた。すごくあたたかかった。

母の立場から聞いてくれた人が、涙を湛えながら「あなたのお母さんも、あなたに幸せになってほしいと願っていると思う」と言ってくれた。

それを聞いて、また涙が出てきた。それは、僕がずっと母に言ってもらいたかったことだったんだと思う。

 

「自分も親とうまく折り合いがつかなかった」と打ち明けてくれた人もいた。

「自分も母親が自殺している」と打ち明けてくれた人もいた。

 

あの場所に集まったたくさんの後悔や寂しさが一つになって、まったく別の感情が生まれたような気がした。

自分が書けたのがこんな歌でよかった。この人生で、よかった。

 

 

僕はすぐ泣く。自分の身の上話なんかをして、泣きながら歌っていたりする。すごくみっともない思う。恥ずかしい奴だと思う。もういい歳だしもっと大人になれよって思う。

 

一方で、僕は音楽の中ではずっと子どもでいたいと思ってもいる。

 

最近はね、よく笑えているんだ。幸せだと感じることも増えているの。

 

それなのに、そう思う日が増えるほど、ライブをするとき、僕の中で眠っている幼い自分が、呼び起こされるようになった。

なんだか降霊術みたいだなと思うこともあるけど、それが結果としてあなたに届いてくれたら、それでいい。

 

けれど。

いつか、いつか櫻小町さんのように、こんな人生を笑顔で高らかに歌えるようになりたいなとも思った。

 

SLYが本当に大好きな場所になった。大好きな場所が、これからもずっと続いていってほしい。

 

生きていると、嫌いなものにたくさん出会う。けれど、それ以上に好きなものが増えていく。これからも、好きな人や好きな場所を増やしていきたいよ。

2023.11.11 『君は君を生かす』

伝えたいことがありすぎて何にも書けなくなってました。


2023年11月11日、彦根COCOZAは本当にいい夜だった。いや、いい夜なんて言葉じゃ全然足らない。たくさんの人が、何度も人生を諦めかけて、それでも死なずに、あるいは死ねずに、昨日2023年11月11日まで生き延びた。生き延びてしまった。


でも、その一人ひとりの選択が、絶対に間違っていなかったことを証明するような、そんな夜だった。

 


11月11日、彦根COCOZAの扉を開けると、それでも世界が続くならがリハーサルをしている最中だった。


大好きなバンドのリハーサルを見れていることがちょっと現実的じゃなかった。驚きと、戸惑いと、喜び。それと同時に「もうこの日が来てしまったのか」という寂しさみたいなものにも気付いてしまった。


ホールに響く轟音は、音が巨大な壁になって迫ってくるみたいで、どうしてこんな爆音なのに篠さんの歌がはっきり聞こえるんだろうか、と妙にバンドマン目線で分析しようとして、それでも僕ひとりの力ではその謎は解けそうもなかった。

 


リハーサルの後、久しぶりに話した篠さんはやっぱりとても気さくで優しくて、話せば話すほど篠さんのことが好きになる。

 


yomosugaraも滞りなくリハーサルを終えた。4人でコメダ珈琲に行って昼食をとったのだけど、それだけのことが、今日はやけに嬉しくて、尊かった。


___


数年前、自分がサイフォニカというバンドから逃げた日のことを思い出していた。

 


やらなければならないことをすべて放り出して逃げた。

 


ツアーを僕だけキャンセルし、メンバーに回らせた。メインボーカル不在のままツアーを回ったメンバーの心情は、僕が書くまでもなく、本当にこの世界のどん底みたいなものだったと思う。

 


それでも当時の僕は、そんな思いをしているメンバーに顔を合わせることもできず、スタジオに行こうと思うと身体が硬直してしまった。

 


あのとき、僕の中では、メンバーやお客さんに申し訳ないという気持ち以上に、世界のどこにも自分の味方がいないのではないかという、手前勝手な被害妄想の方が優っていた。

 


僕はそんな状態であるにもかかわらず、大阪までそれでも世界が続くならのライブを見に行った。直前に知り合った、それせかのしょうごさんが誘ってくれたライブだった。どうしてもいま、それだけは見に行かなければならない気がした。自分のバンドの練習にはいけないのに、他のバンドのライブは見に行ける自分が情けなくて恥ずかしかった。

 


なおさら、こんな奴には味方ができなくて当然だと思った。なのに、それでも世界が続くならだけは、なぜか受け止めてくれる気がしていた。

 


自分はどこまでも勝手だった。けれどその日、篠さんは初めて会った僕の話を、黙って聞いてくれた。受け止めてくれた。

『それでも音楽やりたいなら、いまのバンド辞めることになってもやれよ」と、背中を押してくれた。

 

 

 

その日、僕は「僕はニンゲンになりたかった」という名前でソロ活動をスタートすることを発表した。

 


それからしばらく、僕は自分のことも誰のことも信用できず、信頼できないまま、人が怖くて仕方がないまま、音楽を作っていた。僕が人をもう一度信じてみようと思えたのは、yomosugaraという名前で再スタートを切ったときだった。

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コメダ珈琲のカツパンって、最後の一切れキツくないですか。」


目の前に運ばれてきたカツパンを眺め、やや萎縮している千葉さんに聞いてみた。千葉さんは

「わかるよ。コメダはすべてのものがデカい」と言ってニコニコ笑っていた。


僕の横ではハットリくんが僕の頼んだ量の2倍以上のご飯を僕より早く平らげていた。


斜向かいに座ったたっちゃんは、あみ焼きホットチキンサンドの食べにくさに困惑しながら、それでも美味しそうに頬張っている。


千葉さんはそんなたっちゃんに「最後の一切れ、このカツパンと交換しようぜ」と、いつもの交渉術を発揮し、誰かと一緒に食事をすることのメリットを最大化させていた。


そういう景色が目の前にあることが、とても自分には勿体無い、奇跡に思えた。

 

 

COCOZAに戻ると、ホールの床に主催者である井上さんの作品が展示されていた。


どうしてこんな素晴らしい作品を床に置いたの、と聞かれた井上さんは、控えめに、でもはっきりとした意思を持って答えた。


「この展示物はみんなに踏みつけたり、破ったり、書き込んだりしてほしいんです。これは私が踏み越えたい作品だから。」


けれど、井上さんがそう言っても、みんなはなかなか作品を踏もうとはしなかった。あの場所にいた誰もが、作品を生み出すことの喜びや苦しみ、そして作品を無下にされることの悲痛を知っていたからだと思う。


だから代わりに、ポスカを持って、出演者の一人ひとりが、今日のイベントに懸ける思いを、作品の上に描き込み始めた。


僕はというと、どんな言葉を書けばいいのかわからなくて、ただ何か伝えたくて、その様子をじっと眺めていた。


顔合わせの終わったホールで、僕はやっぱりなにも書けないまま、床の展示物をもう一度眺めてみた。そうしたら、急に涙が出てきた。


井上さんが今日まで生きてきた、日々の一つひとつ。きっと何度も涙を流しながら、地べたを這いずりながら書いて、描いてきた言葉たち。そのようすが一度に想起された。


でも僕が泣いたのは、悲しかったからじゃなかった。それでも井上さんが生きて、このイベントを作ってくれたこと。この日に辿り着いてくれたこと。それが嬉しくて、本当に奇跡だと思えたから。


たぶんそう思っていたのは、僕だけではなくて。一人ひとりの思いの強さが、ライブに大きな影響を与えていた。

 

生きづらさ、音楽の無力さ。理解されない虚しさ。いつも消えない疎外感。それでも今日この場所で、心が通じる人に出会えたこと。これからも日々が続いていくという事実。未だ消えてくれない苦しさ。


それらをすべて肯定してくれた人がいたから。だから、僕らも、自分の音を信じたライブをできる気がする。


たくさんの人が、何度も人生を諦めかけて、それでも死なずに、あるいは死ねずに、2023年11月11日まで生き延びた。


たくさんの文字と音に殴られて、一人ひとりの人生を丸ごと覗き見てしまったような心持ちになって、僕は出番前に精神をぼろぼろにされていた。それでも、僕の口から伝えたいことがまだあった。yomosugaraとして伝えたいことがあった。


___

 


「この世界にようこそ」


この歌を歌うときの気持ちも、あの頃からずいぶんと変わった気がする。


かつては、ライブ前になんともいえない冷ややかな緊張感があった。転換中のお客さんの声も、よく知らないBGMも、全部耳障りだった。けれど、こんな音楽に人を付き合わせていることがなにより申し訳なかった。


それがいまでは、メンバーと他愛もない話をしたりして、ゆったりとした時間から、徐々に音が生まれていくみたいだ。


最初に歌った「この世界にようこそ」は、僕の死んだ母親を思って書いた歌だ。


けれど同時に、母が死んでも、最後まで分かり合えなくても、残された自分の日々が続いていくという歌でもある。


それでも世界が続くならが、変声期という楽曲で「生きているあなたが好きだ」と歌っていたのを思い出していた。


死んだ人に歌えることなんて、本当はないのかもしれない。


だから僕も、後悔ばっかりだけど、もう死んじゃった人に伝えたかったことが山ほどあるけど、目の前で生きているあなたと、そして自分に歌わなくちゃいけないと思った。


それでも世界が続くなら、僕はどうする。

 

僕らはその歌の後に、「ルボックスソラナックス」という歌を歌った。


教室が怖くて、朝日が怖くて、ただそれだけでおかしな存在として扱われる。


不登校児になり、学校という小さな社会から爪弾きにされた僕の疎外感は、今は薄れているけど、未だにちっとも忘れられない。この歌を歌うたび、あの日の気持ちが鮮明に蘇った。

それなのに、歌っていてどこか爽快な曲でもあった。脳裏には、学校に行けず憂鬱な春の朝に味わった、あの冷たい風が吹いていた。

 

それと同時に、すこし、視界が狭まっていくような感覚があった。なんだか、とても息苦しくなってきた。


息苦しさを拭いされないまま、「マズローの犬」を歌い始める。マズローは、yomosugaraの中ではちょっと浮いている曲かもしれない。とはいえ、僕はあの曲を心底楽しそうに演奏しているメンバーの姿がとても愛おしくて、だからこそ今日もこの歌を歌おうと思った。 


けれど、マズローを演奏しながら初めて気付いた。今日は間奏でもいちどもメンバーと目を合わせていない。


その自分の表情に気付いたのか、千葉さんがまたにこにこしながら僕に近付いてきた。僕の背中には、今日もハットリくんが人を殺せそうな音のギターソロを鳴らしている。

幸福な瞬間だと思った。


けれど、また僕の中に、よこしまな、そして漠然とした不安が生まれた。


今日ここにいる人たちに、この歌は受け入れられるだろうか?

こんな歌を歌ってごめんなさい。

僕らの後には、それでも世界が続くならの演奏が控えている。

彼らに影響を受けすぎた僕の楽曲は、とても偽物くさくなっていやしないだろうか。

さっきまで滋賀の勢いのあるバンドを見ていた人にとって、この陰気な音楽はどう映るだろう。


急に全部が怖くなって、逃げ出したい気持ちになりかけた。


でもその時、ステージの上から井上さんの姿が見えた。井上さんがこれまでに積み重ねてきた、たくさんの作品が見えた。


それを見て、自分が伝えなければいけないことを思い出した。

 

その後、僕はいつものように長々としたMCを始めた。でも今日の僕にとって、それはどうしても必要な時間だった。

 

僕は、間違いなく井上さんに救われた一人だ。


誰もを平等に愛そうとしてくれて、一人も見捨てたくなくて、人が傷つくぐらいなら自分が傷つくことで場を納めようとしてしまう。


そんな井上さんの、ともすれば自分を追い詰めてしまうかもしれないその優しさに、それでも僕はとても救われたんだ。


yomosugaraを見つけてくれて、あたたかい言葉をくれた。あなたは間違ってないと言ってくれた。他人の評価を気にせず、自分の信じたことを歌ってほしいと言ってくれた。あの思いに、それをきちんと言葉にして伝えてくれる井上さんのやさしさに、僕は心底救われたんだ。


僕は、優しい人が損をする世界はとても厭だ。でも、だからといって、やさしい人が、正しくあろうとした人が、いつか自分を守るためにそれを忘れてしまうのだとしたら、それもつらい。


だから、僕はせめて、井上さんのやさしさが、誠実な姿勢が、言葉が、なに一つ間違っていなかったと、伝えたかった。それだけ伝えられたら、あとは何も、誰にも伝わらなくてもよかった。

 

そんな気持ちで、僕は「エトセトラ」を歌った。


あの日、誰かに選ばれなかった僕らだから。かつて、その他大勢として扱われてしまった僕らだから。


あの時の虚しさは、いつまでも消えてくれない。


それでも、そんな虚しさを抱えたまま、今日この日に再会できたことを祝福して。


井上さんが泣いているのが見えた。僕も感情が昂って、とても不細工な歌い方になった。それが悔しいけれど、いま音楽で初めて井上さんと一対一で会話できている気がして、勝手ながら嬉しくもあった。


そして、最後に「52Hzの海獣」を演奏した。


「僕はニンゲンになりたかった」という名前を捨てたあの日からずっと自分の指針になっている歌だった。


あの世界一孤独なクジラのように、たとえ誰にも理解されない歌だったとしても、それでも伝えたい。


人に裏切られることを予感しながら、それでも誰かを信じたい。


いつか終わりが来ることが怖くても、それでも誰かと一緒に生きていきたい。

 


それでも世界が続くなら。僕はそれでも、誰かと一緒に生きることを選ぶ。


世界がたとえ壊れていても、見せかけの愛で汚れていても、ガラクタの中からきれいなものを探すように生きていたい。

そしてあなたにも、そうあってほしい。

 


僕は最後のMCと2曲を、ただ井上さんのためだけに使った。


そういう意味で、誰かにとってはとても見苦しいライブになっていたかもしれない。


でも僕は、胸を張って言える。今日のyomosugaraのライブは間違っていない。僕はそう信じたまま、ステージを降りることができた。


____

 


そうして、僕らの後に控えていたのが、僕が誰よりも尊敬して、影響を受けてきた「それでも世界が続くなら」だった。

 


自分のライブをやり切った後に見る、憧れのバンドのライブは、とてつもなかった。


とても敵わないなと思ったし、比べる必要もないのだと思った。自分が本当に苦しかったとき、何度も聞いていた歌を、あの人たちが目の前で歌ってくれている。


そうして、井上さんや、自分や、共演者のみんなが、この日に辿り着けたことが、本当に、本当に、嬉しかった。

 

「今日も君がこうして生きてる

それが僕は嬉しくて泣くんだよ」


水色の反撃のそのフレーズが、いつも以上に胸に刺さりすぎた。


気付けば僕は、滂沱の涙を流していた。

あまりにも涙が止まらないので、恥ずかしくて、ホールの後方で見ていた。


それに気付いた共演者のユータくんが近付いてきて、気付いたら彼と肩を組んで泣きながらライブを見ていて、「なんだこの状況は」なんてちょっとシュールな気持ちになったりしながら、でも、今日この気持ちを共有できる誰かがいることが本当に嬉しかった。

 

 

終演後、楽屋でそれせかの篠さんと話した。僕がサイフォニカを逃げ出したとき、篠さんが話を聞いてくれて本当に嬉しかったことを、初めてきちんと伝えられた。

 

憧れの人たちに、また一緒にライブしようと言ってもらえた。


だから、今度は井上さんを頼るのではなく、憧れのバンドを自分で名古屋に呼ぼうと誓った。


終演後、たくさんの人の名前が書き込まれた床の展示物に、僕も名前を書いた。


井上さんに送るメッセージは、やっぱり悩んだ。けれど、もう脳の活動が停止しつつあったから、今日を迎えられたことの喜びと、再会の約束を綴ることにした。


今日が、今日という一日だけで途切れてしまうことが、すこし怖かったから。


けれどそこには、思った以上に、未来の話をしている人がたくさんいた。


今日まで生きてくるのも大変だった人たちが、次にいつ会えるのかもわからなかったはずの人たちが、「またね」と学校帰りの友だちみたいな約束を交わしている。


僕はただ、それが嬉しかった。

 


2023.11.11(土)

彦根COCOZA

『君は君を生かす』

 

歌に心中、黄昏に青

弾き語りのレコ発ライブが終わった。

本当に自分のなかで、ここまでやってきてよかったという達成感と、充足と、でもできたらもっとたくさんの人に届けたかったなという悔しさと、そういう感情がすべてフードプロセッサーにかけられて、今はひとまずポジティブな感情のペーストとして咀嚼できている。そんな感覚。

昨日のライブでも話したことだけど、サンセットブルーは僕にとっては始まりの場所ともいえるライブハウスで。

僕は昔から弾き語りのライブもぼちぼちやってたんだけど、なんとなく本気になれなくって。ただバンドの劣化版みたいなライブをしていた。自分のなかでも、こんなことやってて意味あるのかなって気持ちが拭いきれず、憂鬱なままステージに立っていた。

けれど、そんなある日、サンセットブルーでライブしたときのこと。お客さんはゼロ、演者も楽屋に引っ込んでしまって、誰も自分の演奏を見ていないイベントを経験した。

自分の覚悟の無さを見透かされてるなと思った。とてつもなく悔しかった。悔しかったけど、こんな演奏ではしょうがないかもしれないと思ってしまう自分が余計に嫌だった。

その日、出演者が控え室で楽しそうに話していたのが、実はシンガーソングライターの大石昌良さんのことだった。

大石昌良さんのことは僕も知っていた。

今では作曲家やタレントとしての印象が強い人だけど、実は弾き語りの技術がとんでもなくって、ニコニコ動画全盛期の頃によく弾き語り配信をしていた。

初めて大石さんの『トライアングル』を聞いたときには衝撃を受けた。スラップ気味のアルペジオにベースラインの激しい動きを加えた奏法は、自分には絶対に弾けっこないと思っていた。

けれどあの日、サンセットブルーの共演者が大石昌良さんについて楽しそうに話しているのを聞いたとき、ふと思ってしまった。

大石昌良さんぐらいギターを弾けるようになったらこの人たちを黙らせられるんだろうか?」

始まりは、そんな下心からだった。

その日から僕は大石昌良さんの曲をコピーし始めた。それはもう何曲もコピーした。

大石昌良さんの曲は僕がやったことのない技術のオンパレードだった。スラップ、ギャロップ奏法、スラム奏法。

パーカシップで力強い音を出そうとすると、まだ指弾きに慣れていなかった僕の爪は何度も弾け飛んだ。爪の生え際から血が出て、ギターが真っ赤になった。

それを防ぐために今度は右手の爪にだけネイルを塗って、女の人にぎょっとされるぐらいに爪を伸ばして。

練習した曲はどれも半端じゃなく難しかったけど、悔しかったからいくらでも練習できた。あんなに無理だと思っていたトライアングルも、練習してみたら意外と弾けるようになった。

そうして、何度も練習しているうちに、それらの奏法を取り入れた曲ができた。

けれど、新しい技を身につけたからといっても、すぐには状況は良くならなかった。むしろ悪化したといってもいい。

技術的に難しいことをやることになるわけで、ライブで失敗する回数は圧倒的に増えた。サンセットブルーのあの日と同じぐらい人の目にとまらないイベントだって、いくつも経験した。ステージに立つのが余計に怖くなることもあった。

そうして、何にもならない夜を、あれから何回も何回も過ごしたよ。


それでも僕は、なぜか誘われたライブはほとんど出ていたと思う。弾き語りのオファーに応え続けて、バンドの都合がつかない時にも代わりに弾き語りで出演して、狂ったように何度もステージに上がり続けた。

あの日のことがよほど悔しかったからだろうか。もっとたくさんの人に注目されないと気が済まないからだろうか。あるいは、自分を苦しめていたいという一種の自傷行為みたいなものなんだろうか。

けれど、本当は気付いていた。

僕はきっと、新しいことができるようになるのが、ただ楽しかっただけなんだと思う。

悔しくて悔しくて練習を始めたあの奏法。ちっとも弾けるようにならなくて、自分の才能のなさに絶望したあの徒労感。せっかく持てる技術を詰め込んだ曲を作ったのに、肝心なときに失敗してしまうあのフレーズ。けれどライブ中に練習不足なんて言葉は絶対に使いたくなくて、しどろもどろになったあの夜。

苦しくて嫌なことばかりなのに、それでもときどき、「楽しい」がすべてを上回ってしまう。

誰に聞いてもらえなくても、いくらミスが多くても。

部屋で黙々とギターと向き合い続けているそのとき、心の底からわくわくしている自分がいる。

次はどんなことに挑戦しよう?
どんな曲を書こう?
どんな詞を乗せよう?

それを考えていると、それまでの苦痛がどうでもよくなる瞬間があった。

だから、なんとかめげずにライブをやってこられたのだと思う。

そうして、頭のネジがちょっと外れたのを、あえて緩めたまま弾き語りを続けていたら、自分のライブを認めてくれる人が少しずつ増えてきた。

そんな中で、もう一つの変化があった。それは、共演者の方々に対する意識の変化だった。

弾き語りは最小単位の音楽だ。だからこそ、強烈な個性を出すためにはかなりの工夫が要る。

そんなわけだから、僕も、人の弾き語りを聞くときにはかなり集中して聞くようになった。どう工夫すれば自分らしい音を弾き語りで表現できるのか、研究した。

けれど、いろんな人の弾き語りを聞いているうちに気付いた。無個性でなにも感じない弾き語りなんて、本当はひとつもないのだと。

誰の音にも、それぞれの願いと、熱意と、工夫と、生きざまと、そういったものが込められている。本人にその気がなかったとしても、それは必ず滲み出ている。

たとえ技術的に拙い人がいたとしても、その人が本当にやりたいこと、本当に伝えたいものは、いつも曲の中に隠れている。それを探すのが、楽しくなった。

この人はどんな思いでこの曲を書いたんだろうか。
どんな家族と過ごしてきたんだろうか。
どんな友だちがいたんだろうか。
どんな歌に影響を受けてきたんだろうか。
どんな悔しい思いをしてきたんだろうか。
どんな喜びを味わってきたんだろうか。

それらを想像するようになってから、僕の世界に色が付いた。人の歌を本当に心から好きだと思えるようになった。

僕が、何にもならなかったと思い込んでいたあの夜が、その時点では苦くてしょうがなかったあの夜が、ただ目の前のことから逃げ出したくなったあの夜が、本当は全部意味があるものだったのだと、思えるようになった。

そのままでは意味をなさないように見えた夜の一つひとつが、点と点を繋いで、歪でも一本の線になるように。

僕の今日も、あなたの今日も、あの人の今日も。すべては、これまでの連続した、長く尊い日々のうえにあるのだと気付けるようになったから。

だから、そんな日々の中で、自分の歌を聞きに来てくれるお客さんには、何度感謝しても足りない。

自分の歌を聞いて泣いてくれた人、泣きそうになるのを堪えながら聞いてくれる人、保護者みたいにあたたかい視線で見守ってくれる人、全力で拍手を送ってくれる人。

みんなが愛おしいし、幸せになってほしいなって思う。

これまで呪詛みたいな歌をたくさん書いてきたし、これからもそういう歌を書いてしまうと思うけど、僕はそんな歌が、あなたを地獄から引き上げるようなきっかけになってくれたらなと思う。

あなたの目の前が灰色になっているなら、それが少しでも鮮やかになるような歌を歌いたいと思う。

だから、また気が向いたらライブ見にきてください。僕はいつまでも懲りずにやってくつもりだから。

また必ずどこかで。
いつでも音楽と一緒に待っています。

開襟シャツは風をはらんで

ライブをたくさんやった。4/30の岐阜に始まり、新栄、心斎橋、今池上前津と2週間ぐらいで結構な数のライブをこなした。何か掴めたかと聞かれたら、正直そんなことはないかも。

こんなことは言わない方がいいんだろうが、自分の中で納得いかないライブが多かった。とても悔しい。

勘違いしないで欲しいんだけど、このライブを見て良いと思ってくれた人がいるなら、その感覚は全然間違ってないしそれを否定する気もない。聞いてくれて本当に嬉しい。でも僕の中で納得がいっていなくて、僕がそれを許せないという、それだけの話。

 

4/30の柳ヶ瀬antsは、TATAMIBOY主催のイベントだった。「色んなジャンルを体感できるイベント」というタイトルの通り、僕のスラム奏法弾き語りからポエトリーリーディング、ミクスチャーロックまで本当に幅広い音楽が集まったイベントだった。
とっ散らかりすぎていて、もはや全員浮いていた。でも不思議と居心地の悪い空間ではなくて、一人ひとりの音楽に対する真摯な向き合い方が感じられる、いいイベントだったと思う。
またやってほしい。

 

5/2のsunset Blueは、スラム奏法対決だった。出演者全員アコースティックギターを叩くという変な1日。対抗しようとして難しい曲を詰め込んだが、それが良かったのかどうかわからない。本当は歌だけで人の心を動かせる方がいいんだろうね。でも、僕はもともとギタリストだし、ギターと歌の両方を最大限に活かして戦える人でありたい。

 

5/6の心斎橋BRONZE。そういえば昔ナインスアポロの人に挨拶しようと思って入ったことがあるライブハウスだった。toboganの紹介で、数年越しにそんなBRONZEのステージに立つ。音が大きくて、自分の声もよく聞こえて、とても気持ちのいいライブハウスだった。yomosugaraのライブは悪くなかったと思う。特に共演者の方々からの評判はよかった。けれど、初めてのライブハウスに行くと、いつも人の目を気にしてしまう。そのせいで、ちょっと格好悪いことを言ってしまった気がする。もっと良いライブにできただろうなと考えて、とても悔しい。場数を踏んでいるメロコアバンドはライブが上手い。見習いたいところと、たぶんyomosugaraではやるべきではないところと、たくさん学ぶところがあった。打ち上げではバンドマンがちんちんを出して暴れていた。帰りにマジックスパイスのカレーを食べたけど、数日にわたって腹を壊した。自分の身体は辛いものに耐性がなさすぎる。

 

5/9は、ここ最近で一番悔しい思いをした日かもしれない。初めて立った、憧れのTOKUZOのステージに、どうも最後まで馴染めなかった気がする。ずいぶんお客さんが遠くにいるような気がして、いつも以上に「自分は今ステージの上で本当に一人なんだ」という感覚が強かった。弾き語りは孤独だ。孤独だからこそやり甲斐があって、孤独だからこそ怖い。
いつも安城Radio Clubでお世話になっているゆうさんとはるちゃんに誘ってもらったイベントだからこそ、自分が納得いくライブを見せられなかったことがつらい。
ただ、お客さんの中で一人だけ、とても良かったと言ってチップをくださった方がいた。その人にとっていいライブができていたことだけは誇りたい。
あとは終演後に話したナポリタンデイドリームがものすごくいい子達で、ライブも素晴らしくって、彼らに会えたことはよかった。ただ、本当に悔しい。もう一度チャンスが欲しい。

 

5/13は、上前津のMusic Bar Bob。Bobは同じ建物にZionというライブハウスがあって、そちらには何度か出たことがあるんだけど、Bobへの出演は初だった。ここ数回のライブを毎回見ていただいている方がいて、あたたかな視線に救われた。この日も共演者の葉月那央さんがスラム奏法をやっていて、本当はこんなこと言わない方がいいのだろうけど、完全に負けた、という気がした。共演した渡部祐也さんも山本隼也さんも良いライブをしていて。結局、この日はTOKUZOの悔しさを払拭するどころか、もっと自分を責めたくなってしまった。

 

5月は、悔しい思いをすることばかりだったよ。

いつになったら、毎回すばらしい気持ちでライブを終えられるようになるのだろうね。そんな人になれる日まで、練習して、曲書いて、ライブやって、失敗して、そういう地味で地道で屈辱的な日々を積み重ねようじゃないか。

 

会話はデウスエクスマキマに聞かれている

伝串を食べたい気持ちを抑えられず、新時代に行った。

のだけど、今日は期待していたほど美味しく感じられなくて、落胆した。同時に、僕はこうやっていろんなものを切り捨てながら今まで生きてきたのだろうなとやけに冷淡な気持ちが芽生えた。

 

新栄club rock'n'rollにライブを見に行った。じつはしばらくスタジオ練習も満足にやれていなくて、デカい音を久しぶりに聞いたから面食らった。

 

良いライブを見た日の帰り道って、個人的には結構最悪だったりする。

自分のライブや音楽に何が足りないのかばかり考えてしまうから。

 

格好いいけどあんな音楽やライブは僕にはできねーや、なんていうはなから諦めた気持ちがありつつも、やはり大きく実直な音には憧憬の念を抱かずにいられない。

 

彼らに比べれば、僕の歌はたぶん暗いのだろうな。うじうじとしていて、鬱陶しいと思われることもあるのだろう。

 

ライブハウスで歌っていると、ライブハウスの主たる客層には僕の歌は響かないだろうし、必要ないのだろうなということを結構頻繁に考えてしまう。最近はとくにそう感じることが多くて、ライブをするたびになにやら心がすり減っていくような感覚が確かにあった。

 

けれど、本当は自分が書いている曲を、暗いだなんて言いたくないのよ。

 

僕らが歌っていることはどこまで後向きであったとしても、ただその時目の前に横たわっていた事実であって、日常的な思考の一端にすぎないのだから。

 

他方、最近妙に人の目が気になって、ライブをするときもなにやらびくびくと怯えている気がする。

「自分の歌はとても暗いんです」

「どうせ極小数の人にしか伝わらないのです」と前置きをしてからでないと、音楽を心から楽しみに来ている方に申し訳ない気がしてしまって。

 

だからか、ここ何回かは、自分の心に素直な演奏をできていなくって、それがこころ苦しいし、なおさら見てくれた人に申し訳ない。


そこには、せっかく音楽をやるならより多く浅く受け入れられたいという、自分の助平心があるのだと思う。

 

僕は、人の目を気にしてしまう自分の性質を否定する気はない。人の目を気にして生きてしまう人の弱さを否定したくない。けれど、ステージに立つときはそういう弱さをひと思いに殺害しておかなければ、自分が本当に表現したいものに近づけないという自覚もある。

 

それと同時に、人の目を気にしてびくびくしているのも、誰のことも気にしないような言葉を使ってしまうのも、ぜんぶ自分自身で、そういうどっちつかずな性質やら二面性こそ、自分の歌の本質である気もする。

 

まあそんな歌が必要な人がいたら、またライブにでも来てくれたら嬉しいです。

 

これも助平心なのだろうけど、やっぱり私の音楽も必要とされたいわね。

140文字じゃあ到底

今日はyomosugaraのスタジオ練習だった。

 

今日の練習は20時からだった。夜にスタジオに入るのは久しぶりだ。

 

スタジオ練習を終えてから、新栄の中華料理屋に行った。

ライブ文化がもっと盛んだったコロナ禍前は、いつ行ってもどこかのバンドマンたちが打ち上げで乱痴気騒ぎに興じていたような店だ。

 

けれど、今日そこにいたのは、バンドマンではなかった。今日我々が邂逅したのは、どこかの箱でライブをしてきたであろうダンサーの集団である。

 

声が不必要なまでに大きく、肌が浅黒く、とてつもなく品のない笑い方をしていた。何がそんなに楽しいのかわからないが、彼らが楽しそうにすればするほど、ぼくはバンドメンバーと話をするために声を張り上げるという無用な労力を強いられることになった。

なんだか同じ空間に居るだけで不愉快だった。僕はやはり大声でジャージャン麺を注文した後、声を出すのに疲れてしばらく黙っていたが、いよいよ我慢ができなくなった。

 

ぼくは、いちばん声が大きい金髪の男にグラスの水をぶちまけてやることにした。明らかに故意にやったことがわかるように、男の顔に水をぶちまけてやるつもりだった。なのに、僕はいざその時になると、あたかも足を滑らせたみたいな滑稽な芝居を打ってしまい、グラスは男の足元に落ち、男のズボンを濡らした。

男がどんな反応をするのか楽しみだった。殴られるのも悪くないと思った。

けれど、男はあろうことか、自分はなにも悪くないというのに、僕に謝ってきた。それどころか、却って転げそうになった僕が足首を捻っていないかとか、割れたグラスを踏んでいないかとか、そんなことを心配してくれた。僕は、碌でもない奴だとたかを括っていた男が想像をはるかに超える寛大な反応を見せたことに焦り、慌てて謝りながら店を後にした。

 

だったら、よかったんだけれど。

 

本当は、見ず知らずの人に水をぶちまけてはいないし、グラスも落としていない。ただ、うるさい人たちはうるさいままで、ぼくが今日食べたジャージャン麺のネギは辛いままで、今のぼくの耳朶と味蕾にその不快な余韻を残している。

 

近ごろ、狂ったように音楽をしている。

ここ数年、ここまでハイペースでライブをしていたことはないし、新曲のアイデアはいくらでも湧いてくるし、ライブをすれば周りから色んな刺激を受ける。毎日が新しい創作と発見に満ち満ちている。

 

けれど、ほとんど毎日思う。自分のこんな行動になんの意味があるのだろうか。

 

ただただ空回っているような気もする。水はある。水車もある。けれどその水車の力を必要としている人には、ここ最近は特に出会えていない気がする。

 

今日中華料理屋で出会ったあの人たちにも、たぶん届くことはないのだろうと思う。

 

けれど、そういったラベリングをして、はなから届くわけがないと諦めている自分の姿勢もやはり業腹である。

 

今日も、誰かに必要とされたい。誰かに求めてもらえる自分でありたいと思う。