歌に心中、黄昏に青

弾き語りのレコ発ライブが終わった。

本当に自分のなかで、ここまでやってきてよかったという達成感と、充足と、でもできたらもっとたくさんの人に届けたかったなという悔しさと、そういう感情がすべてフードプロセッサーにかけられて、今はひとまずポジティブな感情のペーストとして咀嚼できている。そんな感覚。

昨日のライブでも話したことだけど、サンセットブルーは僕にとっては始まりの場所ともいえるライブハウスで。

僕は昔から弾き語りのライブもぼちぼちやってたんだけど、なんとなく本気になれなくって。ただバンドの劣化版みたいなライブをしていた。自分のなかでも、こんなことやってて意味あるのかなって気持ちが拭いきれず、憂鬱なままステージに立っていた。

けれど、そんなある日、サンセットブルーでライブしたときのこと。お客さんはゼロ、演者も楽屋に引っ込んでしまって、誰も自分の演奏を見ていないイベントを経験した。

自分の覚悟の無さを見透かされてるなと思った。とてつもなく悔しかった。悔しかったけど、こんな演奏ではしょうがないかもしれないと思ってしまう自分が余計に嫌だった。

その日、出演者が控え室で楽しそうに話していたのが、実はシンガーソングライターの大石昌良さんのことだった。

大石昌良さんのことは僕も知っていた。

今では作曲家やタレントとしての印象が強い人だけど、実は弾き語りの技術がとんでもなくって、ニコニコ動画全盛期の頃によく弾き語り配信をしていた。

初めて大石さんの『トライアングル』を聞いたときには衝撃を受けた。スラップ気味のアルペジオにベースラインの激しい動きを加えた奏法は、自分には絶対に弾けっこないと思っていた。

けれどあの日、サンセットブルーの共演者が大石昌良さんについて楽しそうに話しているのを聞いたとき、ふと思ってしまった。

大石昌良さんぐらいギターを弾けるようになったらこの人たちを黙らせられるんだろうか?」

始まりは、そんな下心からだった。

その日から僕は大石昌良さんの曲をコピーし始めた。それはもう何曲もコピーした。

大石昌良さんの曲は僕がやったことのない技術のオンパレードだった。スラップ、ギャロップ奏法、スラム奏法。

パーカシップで力強い音を出そうとすると、まだ指弾きに慣れていなかった僕の爪は何度も弾け飛んだ。爪の生え際から血が出て、ギターが真っ赤になった。

それを防ぐために今度は右手の爪にだけネイルを塗って、女の人にぎょっとされるぐらいに爪を伸ばして。

練習した曲はどれも半端じゃなく難しかったけど、悔しかったからいくらでも練習できた。あんなに無理だと思っていたトライアングルも、練習してみたら意外と弾けるようになった。

そうして、何度も練習しているうちに、それらの奏法を取り入れた曲ができた。

けれど、新しい技を身につけたからといっても、すぐには状況は良くならなかった。むしろ悪化したといってもいい。

技術的に難しいことをやることになるわけで、ライブで失敗する回数は圧倒的に増えた。サンセットブルーのあの日と同じぐらい人の目にとまらないイベントだって、いくつも経験した。ステージに立つのが余計に怖くなることもあった。

そうして、何にもならない夜を、あれから何回も何回も過ごしたよ。


それでも僕は、なぜか誘われたライブはほとんど出ていたと思う。弾き語りのオファーに応え続けて、バンドの都合がつかない時にも代わりに弾き語りで出演して、狂ったように何度もステージに上がり続けた。

あの日のことがよほど悔しかったからだろうか。もっとたくさんの人に注目されないと気が済まないからだろうか。あるいは、自分を苦しめていたいという一種の自傷行為みたいなものなんだろうか。

けれど、本当は気付いていた。

僕はきっと、新しいことができるようになるのが、ただ楽しかっただけなんだと思う。

悔しくて悔しくて練習を始めたあの奏法。ちっとも弾けるようにならなくて、自分の才能のなさに絶望したあの徒労感。せっかく持てる技術を詰め込んだ曲を作ったのに、肝心なときに失敗してしまうあのフレーズ。けれどライブ中に練習不足なんて言葉は絶対に使いたくなくて、しどろもどろになったあの夜。

苦しくて嫌なことばかりなのに、それでもときどき、「楽しい」がすべてを上回ってしまう。

誰に聞いてもらえなくても、いくらミスが多くても。

部屋で黙々とギターと向き合い続けているそのとき、心の底からわくわくしている自分がいる。

次はどんなことに挑戦しよう?
どんな曲を書こう?
どんな詞を乗せよう?

それを考えていると、それまでの苦痛がどうでもよくなる瞬間があった。

だから、なんとかめげずにライブをやってこられたのだと思う。

そうして、頭のネジがちょっと外れたのを、あえて緩めたまま弾き語りを続けていたら、自分のライブを認めてくれる人が少しずつ増えてきた。

そんな中で、もう一つの変化があった。それは、共演者の方々に対する意識の変化だった。

弾き語りは最小単位の音楽だ。だからこそ、強烈な個性を出すためにはかなりの工夫が要る。

そんなわけだから、僕も、人の弾き語りを聞くときにはかなり集中して聞くようになった。どう工夫すれば自分らしい音を弾き語りで表現できるのか、研究した。

けれど、いろんな人の弾き語りを聞いているうちに気付いた。無個性でなにも感じない弾き語りなんて、本当はひとつもないのだと。

誰の音にも、それぞれの願いと、熱意と、工夫と、生きざまと、そういったものが込められている。本人にその気がなかったとしても、それは必ず滲み出ている。

たとえ技術的に拙い人がいたとしても、その人が本当にやりたいこと、本当に伝えたいものは、いつも曲の中に隠れている。それを探すのが、楽しくなった。

この人はどんな思いでこの曲を書いたんだろうか。
どんな家族と過ごしてきたんだろうか。
どんな友だちがいたんだろうか。
どんな歌に影響を受けてきたんだろうか。
どんな悔しい思いをしてきたんだろうか。
どんな喜びを味わってきたんだろうか。

それらを想像するようになってから、僕の世界に色が付いた。人の歌を本当に心から好きだと思えるようになった。

僕が、何にもならなかったと思い込んでいたあの夜が、その時点では苦くてしょうがなかったあの夜が、ただ目の前のことから逃げ出したくなったあの夜が、本当は全部意味があるものだったのだと、思えるようになった。

そのままでは意味をなさないように見えた夜の一つひとつが、点と点を繋いで、歪でも一本の線になるように。

僕の今日も、あなたの今日も、あの人の今日も。すべては、これまでの連続した、長く尊い日々のうえにあるのだと気付けるようになったから。

だから、そんな日々の中で、自分の歌を聞きに来てくれるお客さんには、何度感謝しても足りない。

自分の歌を聞いて泣いてくれた人、泣きそうになるのを堪えながら聞いてくれる人、保護者みたいにあたたかい視線で見守ってくれる人、全力で拍手を送ってくれる人。

みんなが愛おしいし、幸せになってほしいなって思う。

これまで呪詛みたいな歌をたくさん書いてきたし、これからもそういう歌を書いてしまうと思うけど、僕はそんな歌が、あなたを地獄から引き上げるようなきっかけになってくれたらなと思う。

あなたの目の前が灰色になっているなら、それが少しでも鮮やかになるような歌を歌いたいと思う。

だから、また気が向いたらライブ見にきてください。僕はいつまでも懲りずにやってくつもりだから。

また必ずどこかで。
いつでも音楽と一緒に待っています。