2023.11.11 『君は君を生かす』

伝えたいことがありすぎて何にも書けなくなってました。


2023年11月11日、彦根COCOZAは本当にいい夜だった。いや、いい夜なんて言葉じゃ全然足らない。たくさんの人が、何度も人生を諦めかけて、それでも死なずに、あるいは死ねずに、昨日2023年11月11日まで生き延びた。生き延びてしまった。


でも、その一人ひとりの選択が、絶対に間違っていなかったことを証明するような、そんな夜だった。

 


11月11日、彦根COCOZAの扉を開けると、それでも世界が続くならがリハーサルをしている最中だった。


大好きなバンドのリハーサルを見れていることがちょっと現実的じゃなかった。驚きと、戸惑いと、喜び。それと同時に「もうこの日が来てしまったのか」という寂しさみたいなものにも気付いてしまった。


ホールに響く轟音は、音が巨大な壁になって迫ってくるみたいで、どうしてこんな爆音なのに篠さんの歌がはっきり聞こえるんだろうか、と妙にバンドマン目線で分析しようとして、それでも僕ひとりの力ではその謎は解けそうもなかった。

 


リハーサルの後、久しぶりに話した篠さんはやっぱりとても気さくで優しくて、話せば話すほど篠さんのことが好きになる。

 


yomosugaraも滞りなくリハーサルを終えた。4人でコメダ珈琲に行って昼食をとったのだけど、それだけのことが、今日はやけに嬉しくて、尊かった。


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数年前、自分がサイフォニカというバンドから逃げた日のことを思い出していた。

 


やらなければならないことをすべて放り出して逃げた。

 


ツアーを僕だけキャンセルし、メンバーに回らせた。メインボーカル不在のままツアーを回ったメンバーの心情は、僕が書くまでもなく、本当にこの世界のどん底みたいなものだったと思う。

 


それでも当時の僕は、そんな思いをしているメンバーに顔を合わせることもできず、スタジオに行こうと思うと身体が硬直してしまった。

 


あのとき、僕の中では、メンバーやお客さんに申し訳ないという気持ち以上に、世界のどこにも自分の味方がいないのではないかという、手前勝手な被害妄想の方が優っていた。

 


僕はそんな状態であるにもかかわらず、大阪までそれでも世界が続くならのライブを見に行った。直前に知り合った、それせかのしょうごさんが誘ってくれたライブだった。どうしてもいま、それだけは見に行かなければならない気がした。自分のバンドの練習にはいけないのに、他のバンドのライブは見に行ける自分が情けなくて恥ずかしかった。

 


なおさら、こんな奴には味方ができなくて当然だと思った。なのに、それでも世界が続くならだけは、なぜか受け止めてくれる気がしていた。

 


自分はどこまでも勝手だった。けれどその日、篠さんは初めて会った僕の話を、黙って聞いてくれた。受け止めてくれた。

『それでも音楽やりたいなら、いまのバンド辞めることになってもやれよ」と、背中を押してくれた。

 

 

 

その日、僕は「僕はニンゲンになりたかった」という名前でソロ活動をスタートすることを発表した。

 


それからしばらく、僕は自分のことも誰のことも信用できず、信頼できないまま、人が怖くて仕方がないまま、音楽を作っていた。僕が人をもう一度信じてみようと思えたのは、yomosugaraという名前で再スタートを切ったときだった。

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コメダ珈琲のカツパンって、最後の一切れキツくないですか。」


目の前に運ばれてきたカツパンを眺め、やや萎縮している千葉さんに聞いてみた。千葉さんは

「わかるよ。コメダはすべてのものがデカい」と言ってニコニコ笑っていた。


僕の横ではハットリくんが僕の頼んだ量の2倍以上のご飯を僕より早く平らげていた。


斜向かいに座ったたっちゃんは、あみ焼きホットチキンサンドの食べにくさに困惑しながら、それでも美味しそうに頬張っている。


千葉さんはそんなたっちゃんに「最後の一切れ、このカツパンと交換しようぜ」と、いつもの交渉術を発揮し、誰かと一緒に食事をすることのメリットを最大化させていた。


そういう景色が目の前にあることが、とても自分には勿体無い、奇跡に思えた。

 

 

COCOZAに戻ると、ホールの床に主催者である井上さんの作品が展示されていた。


どうしてこんな素晴らしい作品を床に置いたの、と聞かれた井上さんは、控えめに、でもはっきりとした意思を持って答えた。


「この展示物はみんなに踏みつけたり、破ったり、書き込んだりしてほしいんです。これは私が踏み越えたい作品だから。」


けれど、井上さんがそう言っても、みんなはなかなか作品を踏もうとはしなかった。あの場所にいた誰もが、作品を生み出すことの喜びや苦しみ、そして作品を無下にされることの悲痛を知っていたからだと思う。


だから代わりに、ポスカを持って、出演者の一人ひとりが、今日のイベントに懸ける思いを、作品の上に描き込み始めた。


僕はというと、どんな言葉を書けばいいのかわからなくて、ただ何か伝えたくて、その様子をじっと眺めていた。


顔合わせの終わったホールで、僕はやっぱりなにも書けないまま、床の展示物をもう一度眺めてみた。そうしたら、急に涙が出てきた。


井上さんが今日まで生きてきた、日々の一つひとつ。きっと何度も涙を流しながら、地べたを這いずりながら書いて、描いてきた言葉たち。そのようすが一度に想起された。


でも僕が泣いたのは、悲しかったからじゃなかった。それでも井上さんが生きて、このイベントを作ってくれたこと。この日に辿り着いてくれたこと。それが嬉しくて、本当に奇跡だと思えたから。


たぶんそう思っていたのは、僕だけではなくて。一人ひとりの思いの強さが、ライブに大きな影響を与えていた。

 

生きづらさ、音楽の無力さ。理解されない虚しさ。いつも消えない疎外感。それでも今日この場所で、心が通じる人に出会えたこと。これからも日々が続いていくという事実。未だ消えてくれない苦しさ。


それらをすべて肯定してくれた人がいたから。だから、僕らも、自分の音を信じたライブをできる気がする。


たくさんの人が、何度も人生を諦めかけて、それでも死なずに、あるいは死ねずに、2023年11月11日まで生き延びた。


たくさんの文字と音に殴られて、一人ひとりの人生を丸ごと覗き見てしまったような心持ちになって、僕は出番前に精神をぼろぼろにされていた。それでも、僕の口から伝えたいことがまだあった。yomosugaraとして伝えたいことがあった。


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「この世界にようこそ」


この歌を歌うときの気持ちも、あの頃からずいぶんと変わった気がする。


かつては、ライブ前になんともいえない冷ややかな緊張感があった。転換中のお客さんの声も、よく知らないBGMも、全部耳障りだった。けれど、こんな音楽に人を付き合わせていることがなにより申し訳なかった。


それがいまでは、メンバーと他愛もない話をしたりして、ゆったりとした時間から、徐々に音が生まれていくみたいだ。


最初に歌った「この世界にようこそ」は、僕の死んだ母親を思って書いた歌だ。


けれど同時に、母が死んでも、最後まで分かり合えなくても、残された自分の日々が続いていくという歌でもある。


それでも世界が続くならが、変声期という楽曲で「生きているあなたが好きだ」と歌っていたのを思い出していた。


死んだ人に歌えることなんて、本当はないのかもしれない。


だから僕も、後悔ばっかりだけど、もう死んじゃった人に伝えたかったことが山ほどあるけど、目の前で生きているあなたと、そして自分に歌わなくちゃいけないと思った。


それでも世界が続くなら、僕はどうする。

 

僕らはその歌の後に、「ルボックスソラナックス」という歌を歌った。


教室が怖くて、朝日が怖くて、ただそれだけでおかしな存在として扱われる。


不登校児になり、学校という小さな社会から爪弾きにされた僕の疎外感は、今は薄れているけど、未だにちっとも忘れられない。この歌を歌うたび、あの日の気持ちが鮮明に蘇った。

それなのに、歌っていてどこか爽快な曲でもあった。脳裏には、学校に行けず憂鬱な春の朝に味わった、あの冷たい風が吹いていた。

 

それと同時に、すこし、視界が狭まっていくような感覚があった。なんだか、とても息苦しくなってきた。


息苦しさを拭いされないまま、「マズローの犬」を歌い始める。マズローは、yomosugaraの中ではちょっと浮いている曲かもしれない。とはいえ、僕はあの曲を心底楽しそうに演奏しているメンバーの姿がとても愛おしくて、だからこそ今日もこの歌を歌おうと思った。 


けれど、マズローを演奏しながら初めて気付いた。今日は間奏でもいちどもメンバーと目を合わせていない。


その自分の表情に気付いたのか、千葉さんがまたにこにこしながら僕に近付いてきた。僕の背中には、今日もハットリくんが人を殺せそうな音のギターソロを鳴らしている。

幸福な瞬間だと思った。


けれど、また僕の中に、よこしまな、そして漠然とした不安が生まれた。


今日ここにいる人たちに、この歌は受け入れられるだろうか?

こんな歌を歌ってごめんなさい。

僕らの後には、それでも世界が続くならの演奏が控えている。

彼らに影響を受けすぎた僕の楽曲は、とても偽物くさくなっていやしないだろうか。

さっきまで滋賀の勢いのあるバンドを見ていた人にとって、この陰気な音楽はどう映るだろう。


急に全部が怖くなって、逃げ出したい気持ちになりかけた。


でもその時、ステージの上から井上さんの姿が見えた。井上さんがこれまでに積み重ねてきた、たくさんの作品が見えた。


それを見て、自分が伝えなければいけないことを思い出した。

 

その後、僕はいつものように長々としたMCを始めた。でも今日の僕にとって、それはどうしても必要な時間だった。

 

僕は、間違いなく井上さんに救われた一人だ。


誰もを平等に愛そうとしてくれて、一人も見捨てたくなくて、人が傷つくぐらいなら自分が傷つくことで場を納めようとしてしまう。


そんな井上さんの、ともすれば自分を追い詰めてしまうかもしれないその優しさに、それでも僕はとても救われたんだ。


yomosugaraを見つけてくれて、あたたかい言葉をくれた。あなたは間違ってないと言ってくれた。他人の評価を気にせず、自分の信じたことを歌ってほしいと言ってくれた。あの思いに、それをきちんと言葉にして伝えてくれる井上さんのやさしさに、僕は心底救われたんだ。


僕は、優しい人が損をする世界はとても厭だ。でも、だからといって、やさしい人が、正しくあろうとした人が、いつか自分を守るためにそれを忘れてしまうのだとしたら、それもつらい。


だから、僕はせめて、井上さんのやさしさが、誠実な姿勢が、言葉が、なに一つ間違っていなかったと、伝えたかった。それだけ伝えられたら、あとは何も、誰にも伝わらなくてもよかった。

 

そんな気持ちで、僕は「エトセトラ」を歌った。


あの日、誰かに選ばれなかった僕らだから。かつて、その他大勢として扱われてしまった僕らだから。


あの時の虚しさは、いつまでも消えてくれない。


それでも、そんな虚しさを抱えたまま、今日この日に再会できたことを祝福して。


井上さんが泣いているのが見えた。僕も感情が昂って、とても不細工な歌い方になった。それが悔しいけれど、いま音楽で初めて井上さんと一対一で会話できている気がして、勝手ながら嬉しくもあった。


そして、最後に「52Hzの海獣」を演奏した。


「僕はニンゲンになりたかった」という名前を捨てたあの日からずっと自分の指針になっている歌だった。


あの世界一孤独なクジラのように、たとえ誰にも理解されない歌だったとしても、それでも伝えたい。


人に裏切られることを予感しながら、それでも誰かを信じたい。


いつか終わりが来ることが怖くても、それでも誰かと一緒に生きていきたい。

 


それでも世界が続くなら。僕はそれでも、誰かと一緒に生きることを選ぶ。


世界がたとえ壊れていても、見せかけの愛で汚れていても、ガラクタの中からきれいなものを探すように生きていたい。

そしてあなたにも、そうあってほしい。

 


僕は最後のMCと2曲を、ただ井上さんのためだけに使った。


そういう意味で、誰かにとってはとても見苦しいライブになっていたかもしれない。


でも僕は、胸を張って言える。今日のyomosugaraのライブは間違っていない。僕はそう信じたまま、ステージを降りることができた。


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そうして、僕らの後に控えていたのが、僕が誰よりも尊敬して、影響を受けてきた「それでも世界が続くなら」だった。

 


自分のライブをやり切った後に見る、憧れのバンドのライブは、とてつもなかった。


とても敵わないなと思ったし、比べる必要もないのだと思った。自分が本当に苦しかったとき、何度も聞いていた歌を、あの人たちが目の前で歌ってくれている。


そうして、井上さんや、自分や、共演者のみんなが、この日に辿り着けたことが、本当に、本当に、嬉しかった。

 

「今日も君がこうして生きてる

それが僕は嬉しくて泣くんだよ」


水色の反撃のそのフレーズが、いつも以上に胸に刺さりすぎた。


気付けば僕は、滂沱の涙を流していた。

あまりにも涙が止まらないので、恥ずかしくて、ホールの後方で見ていた。


それに気付いた共演者のユータくんが近付いてきて、気付いたら彼と肩を組んで泣きながらライブを見ていて、「なんだこの状況は」なんてちょっとシュールな気持ちになったりしながら、でも、今日この気持ちを共有できる誰かがいることが本当に嬉しかった。

 

 

終演後、楽屋でそれせかの篠さんと話した。僕がサイフォニカを逃げ出したとき、篠さんが話を聞いてくれて本当に嬉しかったことを、初めてきちんと伝えられた。

 

憧れの人たちに、また一緒にライブしようと言ってもらえた。


だから、今度は井上さんを頼るのではなく、憧れのバンドを自分で名古屋に呼ぼうと誓った。


終演後、たくさんの人の名前が書き込まれた床の展示物に、僕も名前を書いた。


井上さんに送るメッセージは、やっぱり悩んだ。けれど、もう脳の活動が停止しつつあったから、今日を迎えられたことの喜びと、再会の約束を綴ることにした。


今日が、今日という一日だけで途切れてしまうことが、すこし怖かったから。


けれどそこには、思った以上に、未来の話をしている人がたくさんいた。


今日まで生きてくるのも大変だった人たちが、次にいつ会えるのかもわからなかったはずの人たちが、「またね」と学校帰りの友だちみたいな約束を交わしている。


僕はただ、それが嬉しかった。

 


2023.11.11(土)

彦根COCOZA

『君は君を生かす』