夜もすがらもの思ふ頃

もうずっとバンドを組まないでおこうと思っていた。夜な夜な、自分を誹る誰かの声が聞こえてきて、一人でに悲鳴をあげた。

それでも、バンド音楽が大好きだった。

じゃきじゃきと刃物のように喧しいギターの音。
楽曲の間を這い回り、ときに遊び、ときに実直に支えるベースの音。
おびただしい数の太鼓とシンバルから無限のリズムを生み出すドラムの音。

そんな3つの楽器といっしょに鳴らせば、さして上手くもなければ個性的でもない自分の歌さえ、すこしだけ上等なものに思えた。

だけど、バンド音楽の前提にあるのは、人間関係だ。残念ながら、僕はその人間関係を築くのがとてもへたくそだったらしい。

そして数年前、本気で大切にしていたはずのバンドを、無茶苦茶にしてしまった。
ツアーが決まっていたのに、そのほとんどへの出演を勝手に辞退した。メンバーはギターボーカル不在のままツアーを回った。メンバーは毎日泣きながら過ごしていたらしい。ぼくはもうそれについて申し訳ないと思う余裕すらなくなっていた。

なにもかもを投げ出して逃げたかった。
毎日、どうやって死のうか考えていた。
誰も彼もを信用できなくなった。

けれど、なにより信用できなくなったのは、どうやら自分自身だったらしい。


「どうせ自分はいつか人を裏切ってしまう」

そんなふうに思うようになったのは、いつからだろう。だから自分には、もうバンドを組む資格なんてないと本気で思っていた。

だから、こんなふうに発想を転換することにした。

「いまの時代、ミュージシャンは一人でなんでもやれるようにならなきゃあ駄目だ。」
「バンドを組むやつなんて弱虫だ。」
「徒党を組んで、自分たちを大きく見せて、そうしないと人の目に留まることもない、そういう手合いの軟弱者の集まりだ。」
「これからは、一人で作曲から演奏、歌唱、映像制作、ミックス、ダンスまで、なんでもできるようにならないといけない。」

だからこそ、そんなことができるひと握りの人間に憧れ、激しく嫉妬した。
自分もそうなれると信じたかった。 

けれど、僕がライブをする時にはベースやドラムのサポートメンバーを迎えて、あたかもバンドであるかのような顔をしていたし、レコーディングではエンジニアさんの腕を借りっぱなしだった。僕はどこまでも中途半端だった。

そんななかでも、ギタリストとしての無駄なプライドだけは持ち合わせていた僕は、頑なにほかのギタリストの参加を拒んでいた。
「僕はニンゲンになりたかった」は、長らくスリーピースバンドのできそこないみたいだった。

けれど、人はいつの間にか変わってしまうみたいだ。

僕はある日、友だちの服部くんをリードギターとしてバンドの練習に誘った。当時の僕がなんでそんなことを考え出したのか、自分でもよくわからない。

けれど、その日初めて、僕の歌が誰かの手によって鮮やかに生まれ変わるのを感じた。
この人には敵わないな、と思ってしまった。

それから「不正解」という曲をレコーディングした。リードギターの録音は服部くんにお願いした。アレンジは難航したが、サポートメンバーの力を借りてようやく完成させられた。サポートメンバーがいなければ到底完成しなかった。不正解は僕にとってなにより大切な曲になった。

ある日のライブの帰り道、服部くんとお酒を飲みながら話していた。「正規メンバーに入れてほしいぐらいに、このバンドでギターを弾くのが楽しいよ」と言ってくれた。僕はその言葉にどう返して良いかわからなかった。

その後、当時サポートドラマーを務めてくれていたながとくんから、僕はニンゲンになりたかったのサポートを辞めたいと伝えられた。もう一つのバンドが忙しくなってきたからだという。

仕方がないことだと思えたらよかった。だって、僕は一人でやっていくつもりだったんだから。だというのに、ながと君がいなくなると考えたとき、本当にどうしようもなく、寂しい気持ちになった。ぼくが過去にたくさんの人を傷付けた罰が下ったのかな、とさえ思った。

「どうしてみんな、僕を選んでくれないんでしょ。ああ、僕が誰のことも選んでいないからか。」

そんなことをぼんやり考えるようになった。

けれど、それから程なくして、千葉さんが新しいサポートドラマーとして、たっちゃんを連れてきてくれた。

千葉さん、たっちゃん、服部くんの4人で、スタジオに入る日々は、楽しかった。ときには音楽のことを忘れ、一緒にお酒を飲みに行ったこともある。

ベースを弾いてくれている千葉さんは、人の愛し方がとても上手なひとだった。千葉さんは僕が作る歌に対する愛を何度も伝えてくれた。彼は僕が書いた歌を僕よりも大切にしてくれる。千葉さんと出会ったおかげで、僕は本当に救われた。あの人は太陽みたいだった。けれど、澱のように沈殿した僕の陰気な部分にも寄り添ってくれるふしぎな太陽だ。

ドラムのサポートとして千葉さんが紹介してくれたたっちゃんは、僕がこれまでに会った誰よりも穏やかな人だった。けれど人一倍努力家で、僕が作った複雑怪奇な曲も必死に練習してものにしてくれた。彼ほどやさしく、周りが見えている人を僕はあんまり知らない。

リードギターを弾いてくれるようになった服部くんには、嫉妬した。いや、自分よりも遥かな高みにいるおかげで、嫉妬すらできなかったのかもしれない。
服部くんがギターを弾いてくれるようになってから、僕はもう彼のギターが鳴っていない自分の曲を想像できなくなってしまった。僕は初めて、誰かのギターをもっと聞いていたいと思った。僕がどんな歌を書いても、そこに服部くんのギターが鳴っていてほしかった。僕の歌やギター以上に、彼のギターをあなたに聞いて欲しいと思ってしまう。

3人と過ごすなかで、一人ひとりが心から楽しんでぼくの曲を弾いてくれているのがわかった。けれど、彼らを正規メンバーとして迎え入れる覚悟はなかなか持てなかった。

怖かったからだ。

そもそも、正規メンバーになったところで、彼らにとってはなにもメリットがないように思えた。ぼくの音楽活動はあんまり知名度が高くないし,メンバーになれば金銭的な面でも負担を強いることになってしまう。ライブのノルマにレコーディング代、CDのプレス代、ミュージックビデオの撮影費……。バンド活動に必要なお金はそんなに安いものではない。「メンバーになってくれ」なんて頼めば、みんな去ってしまうのではないかと心のどこかで思っていた。

なにより、また自分の心が壊れてしまって、彼らを傷付けることになる気がした。

けれど、ときどき、いや、何度も思った。

ああ、こんなに素敵な人たちとバンドを組めたら、僕の人生はどれだけ素晴らしいものになるだろうか。

その思いは日に日に強くなった。だというのに、やっぱりそれを伝えることは怖くて、なかなか言い出せず、ひたすらに時間が過ぎていった。

そうこうしているうちに、曲がいくつかできてしまった。

正直に言えば、コロナ禍中、音楽と向き合うのを放棄していた時期があった。もう僕には歌は書けないだろうと思うこともあって、ずっと通っていたボイストレーニングも辞めてしまった。

それなのに、なぜかまた歌が生まれてしまう。生まれたからには、人に届けなければもったいないと思う。

そしてなにより、服部くんや千葉さんやたっちゃんと、もっと一緒にいたかった。

だから、思い切って「メンバーになってほしい」と伝えることにした。

服部くんは、すぐに「一緒にやろう」と返事をくれた。

けれど、千葉さんとたっちゃんからは、すぐには返事をもらえなかった。二人ともたくさんバンドを掛け持ちしているから、仕方がないことなのだと思う。とはいえ、やっぱり素直に「仕方がないな」とは思えなかった。自分の音楽に魅力がないから、人間性が腐っているから、ついていこうと思ってもらえないのではないかと考えてしまった。

それなら、服部と二人でやっていけばいいか。そんなことを考えつつも、服部くんにこれからどれだけの負担を強いることになるか考えると、足が震えた。いままでは自分の貯金を切り崩しながらやっていた音楽活動だったが、その半分を服部くんに負担させる勇気がぼくにはなかった。そうなると、もう千葉さんやたっちゃん以外の正規メンバーを探すべきなのかもしれないと思った。けれど、本当はこの3人と一緒にいたかったのに、それを曲げなければならないということを考えると、暗鬱な気持ちになった。

2021年の終わりがけは、そんなことばかりを考えるようになっていて、空が毎日灰色に見えた。底冷えのする鉄筋コンクリートのアパートの自室が、よけいにこたえた。

年が明けると、およそ頭のおかしい人たちが今年の抱負をSNS上で語り始める。ぼくはうまく希望を思い描くことができず、やや自暴自棄になっていた。

けれど、そんなときに、千葉さんとたっちゃんが正規メンバーになると決心してくれた。すでにいくつものバンドを掛け持ちしていたし、彼らにとってメリットがあるとは思えなかったのに、一緒になることを選んでくれた。

千葉さんは、本人にとってのメリットではなく、僕にとってのメリットをいくつも挙げながら、メンバーになった方がいいと伝えてくれた。

僕は、自分を選んでもらえたことが、ただただ嬉しくて、ひとりで泣いた。

そして、3人が正式に加入するのをきっかけに、僕はいまの名前を捨てようと思った。

僕はもう、「僕はニンゲンになりたかった」という名前を背負うのが、辛くなってしまっていたから。

サイフォニカというバンドを辞めたあの日、僕は本当に心から「自分はニンゲンになれていない」と思っていた。

周囲の人々に危害を加え、やるべきことから逃げ続け、人間関係をめちゃくちゃに破壊し、社会性も協調性もない自分は、ニンゲンに値しないと思っていた。

だから、もっとニンゲンらしくなりたかった。世間が定義する"人らしさ"に自分を当てはめたかった。そうなりきれない自分に憤りを覚えたし、絶望した。

そして、そんな自分の姿を、勝手に自分の母と重ねた。世間と自身のギャップに苦しみ続け、最期は自ら命を絶ってしまった母の姿は、ぼくの頭からずっと消えてくれない。そして、人を傷つけ続ける自分の姿を揶揄する意味でも「僕はニンゲンになりたかった」と名乗った。

この名前がいちばん自分にフィットしているし、この名前に共感してくれる人にだけ届けたいと思っていた。

けれど、少しずつ、少しずつ、この名前を名乗るのが苦しくなった。なぜなら、この名前を使っている限り、僕は自分をいつまでも「人らしい」と認めてあげられない。
そして、この名前はひたすらに、母の尊厳を踏み躙る名前でもあったからだ。

やはり、人は変わってしまうのだと思う。

「僕はニンゲンになりたかった」が始まったあの日から、いろんなことがあった。

僕はある程度人に感謝してもらえる仕事を見つけた。人になにかを教えたり、自分が書いた文章を誰かに見てもらえたり、そういうやりがいのある仕事だ。稼ぎは多くはないが、それでもときどき、心の底から「生きている」と実感できる。

少ないながら、自分の歌を認めてくれる人にも出会った。それはこれまでにライブハウス、路上で、僕らに出会ってくれたあなた方。そして、僕の歌にいつも真正面から付き合ってくれるメンバーたちだ。

新型コロナウィルスによる世の中の変化からも、大きな影響を受けた。世界の変化は、固定化された正解を打ち壊し、人々の価値観をほぐした。僕も、僕のような生き方は決して異端ではないと気付いた。

僕はようやく、自分のような存在も「人間」だと認めたくなった。

そして、同時に、もっと誰かと繋がっていたいと願うようになった。

これから、また誰かと傷つけあうとしても、それでも僕は、人と共に生きる道を選びたい。

だからこそ、僕はこの名前を捨てることにした。

「僕はニンゲンになりたかった」という名前は、その短い歴史に幕を引く。

僕の書く歌の本質は、これからもそう変わらないかもしれない。
いや、もしかしたら、結構変わっていってしまうのだろうか。

僕は、人はどうあがいても変わっていってしまうものだと思っている。
僕たちは変わらないよ、なんてことを言いながら、結局変わってしまった人たちを何度も見てきた。

けれど、それでもやっぱり、僕の歌は今も夜に生まれるのだ。

明日が不安で眠れない夜、過去に締め殺される夜、誰かを殺したいほど憎んだ夜、自分を否定することしかできなかった夜。

そんな夜をこれまでに何度も越えてきたし、きっとこれから先もそういった夜に出会すことだろう。

だからこそ、僕やあなたがこれまでに越えてきた夜を追悼し、これから何度も出会すであろう夜に立ち向かうために。

僕たちは、「yomosugara」として生まれ変わります。


僕の生活の中心には、ずっと音楽があります。

これまでに、いろんな形で音楽を作り、自分を表現してきました。

でも、僕の音楽人生において、なにより充実しているのは間違いなく、今です。

「yomosugaraをこれからどんなバンドにしていこうか」と、大須のメイシーズのご飯を食べながらメンバーと話したとき、ぼくはいま、なんて素晴らしいことをしているのだろうかと、泣きそうになってしまいました。

バンドの未来について大好きな人たちと語り合うことができるのは、この上ない奇跡です。

yomosugaraのメンバーとスタジオで練習するたびに、僕らの音楽を誰かに聞いてほしくて、足元がふわふわとしました。

yomosugaraのメンバーとステージに立つたびに、こんなに嬉しいことができない人生などありえないと、心の底から思います。

いまの僕は、大好きな人たちと音楽をやれているだけで、今日まで生きてきてよかったと思います。心の底から、この人たちと音楽をやりたいと思います

これまで応援してくれたお客さんに素晴らしいものを届けたい気持ちは、もちろんあります。これから出会う誰かに聞いてほしいという気持ちもあります。

けれどそれ以上に、メンバーというごく狭い半径の人たちの笑顔を見たいし、この人たちを感動させたいと思います。

誰かとともに音楽を奏でられることは、こんなに尊いことだったんだと、改めて気が付き、心が震えます。

そんな、初めてバンドを組んだ中学生や高校生のような気持ちが、20代の終わりがけになって、いまの自分に芽生えています。

だから、どうか、あなたにも、祝福してもらえたら嬉しいです。

yomosugaraは、きっと素晴らしいバンドになりますから。

名前を変えてしまって、ごめんなさい。
けれど、僕はいまのところ、やっぱりあなたに向けて歌を書きたいと思っています。

いずれ変わってしまう可能性は捨て切れないけど、未だ人間社会に対する失望や諦観は消えてくれません。ただ、それを超えた先にある、それでも人を愛していたいという気持ちが、少しずつ芽生えてきているかもしれません。いまは、そういったさまざまな感情が、とても良いバランスで混在していると実感があります。

まずは、yomosugaraが初めてリリースするep『√human』を聞いてみてください。

博士の愛した数式』という小説のなかで、数学者がこんなふうに語っています。

「√記号は、どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまう、寛大な記号である。」

√は、実体のない虚数のような数字にさえ、立場を与えてしまうほどにやさしい記号です。

だから、僕は過去の自分を肯定し、少しでも前に進むために、『√human』というepを、仲間たちと一緒にリリースします。

これは、或る不出来な男が、人として再生するための道のりなのかもしれません。あなたにもどうか見届けてもらえたら。