まるで天才ミュージシャンのバーゲンセールだな

久々にレコーディングをしてきたよ。

僕はニンゲンになりたかった。僕はニンゲンになれたのだろうか。

 

前回出した音源の名前は『模範解答』。

 

あれを出してなんだか燃え尽きてしまったぼくは、しばらく音楽やらなくてもいいや、なんてことを考えてしまっていた。

 

ぼくが音楽から離れているあいだにも、世の中には多くの名曲が生まれた。たぶんぼくが音楽を作らなくても、それで困る人はもういない。

 

すでに消費しきれないほどの娯楽が世には溢れているし、音楽はそんな数ある娯楽のなかでも優先度を低く見積もられがち。

 

音楽よりもショート動画のほうが中毒性が高いのだろうし、ぼくがどれだけ精神を削って言葉を編んだところで、若いギャルがtiktokで腰を振ったほうが多くの人の心を動かしてしまう。

 

しかも、音楽業界にはもうわんさと「天才」なんて呼ばれる人がいる。最近は若干20歳なのに歌がべらぼうに上手くて抜群にセンスのいい曲を書く(しかも音楽的なバックボーンもしっかりしている)怪物みたいな人がうようよしている。

どう考えたってリスナーに対してプレイヤーの数が多すぎる。ぼくのために空いている席なんて、あるはずもない。

 

まあ、とどのつまり、自惚れていられる時間がずいぶんと短くなったわけだよ。

 

10年も前は、自分が作った音楽で世界を変えられると本気で信じていた。自分はもしかしたら天才やもしれぬ、と何度も思ったほどだ。

 

ところが、近ごろは自分の凡庸さにあきれている。

 

歌詞を考え始めると、言葉遣いはどこか稚拙だし、なんらかの文学やら音楽やらをリスペクトしようとすると、どうも表層的なものしか引っ張ってこれない。

 

楽曲を作っていても、だれにも思いつかないような発明はできない。ぼくが作るもののオリジナリティなんて、畢竟だれかの模倣の延長でしかない。もしかしたら、音源を世に出した後で「この曲どっかで聞いたことある」なんてことを言われるやもしれぬ。

 

歌もいつまでもへたっぴで、相変わらず妙なくせが抜けない。かといって自分のくせを殺そうとすると、今度はとんでもない棒読みになってしまう。ピッチを一切補正する必要がないほどの音感もない。

 

レコーディングをしてみれば、簡単なフレーズで何度もつまずく拙いギター弾きだ。タイム感もさしてよくないし、特にアルペジオを弾くときは未だに緊張してしまう。

 

誰もが目を見張るような技術もなければ、「天才」だらけのプレイヤー飽和時代に抜きんでるだけのセンスもひらめきもない。

 

 

だというのに、また曲を作ってしまいました。

 

また性懲りもなく、自分の歌はほかの何物にも代えがたいと思ってしまいました。

ほかの誰が作った作品よりも尊く、またあなたに聴いてもらう価値のあるものだと思ってしまいました。

 

ほかの誰かが素晴らしいものを作っているから、どうしたというんだ。

席が空いていないから、なんだというんだ。

それがお前を止める理由になんか、なりはしないのよ。

 

昨日の深夜、久々に、昔レコーディングした曲を聴きました。サイフォニカというバンドで録った「未完成」という曲です。

当時のぼくたちがとても大切にしていた曲でした。いまのぼくにとっても、未だ思い入れがある曲です。

けれど、いまの自分の音源と比べると、ギターの音はチープに感じたし、歌も今よりもっと下手くそでした。

それがショックでもあったし、それと同時に、とても誇らしくもありました。

 

ぼくがなにより素晴らしいのは、いつだって今日なんです。

ぼくがなにより競うべきは、過去の自分なんです。

歌を書くことは、それだけで尊いのです。

 

どうか、どうか今日のぼくの歌を聞いておくれよ。今日のぼくを見ておくれよ。ぼくはまだ音楽をやれるぞ。歌をうたって、ギターを弾いて、ぐしゃぐしゃでもみっともなくても、前に進めるぞ。

 

昨日選ばれなかったぼくたちへ。