2019年10月26日(土)鶴舞DAYTRIP

鶴舞DAYTRIPには、一度だけ出演したことがある。

いまサポートでドラムを叩いてくれているナガトくんと僕が、学生時代に組んでいたバンドで一度だけ、出演した。

たしかあれは他大学との交流ライブだったろうか。その日はまだ活動開始したばかりの「スロウハイツと太陽」もいて、夜遅くまでDAYTRIPの向かいにある居酒屋で話していたことを覚えている。

僕たちはその当時、「ペーパードライバー」という名前のバンドを組んでいた。我ながらネーミングセンスの無さに辟易する。

そんなペーパードライバーから一転、「僕はニンゲンになりたかった」として、2019年の僕は鶴舞のステージに立った。

 

ライブとライブの間隔も空いてしまったいたけれど、実を言うとそれ以上に練習に入れていなかった。僕のレコーディングや、サポートの方々との予定が合わず、8月からおよそ2ヶ月ほど、4人編成でスタジオに入ることができなかった。

けれど僕はどこか「それでいい」とも思っていた。何故なら、バンド音楽から目を背けたくなっていたから。

 

僕はこのソロ活動を始めた当時、僕が作る歌を必要としている人がどこかに必ずいるという確信を持っていた。けれどライブをしてもこれといった反応が返ってこないような日々を積み重ねると、次第に自信を失くしていく。自分の代わりはいくらでもいて、僕が歌わなくたって誰も困らないし、必要としている人もいないと感じるようになる。そんな思考回路に陥る。曲を書けなくなって、伝えたいことも思いつかなくなる。

近ごろではバンドで演奏している時間よりも、アコースティックギターを弾いている時間を好むようになった。アコースティックは本当の意味で、誰にも迷惑をかけない演奏形態であるかのように思えたからだ。

 

僕はあまり人と会わなくなった。家に籠って仕事をしているから、余計に人と顔を合わせる機会が少ない。日々、顔の見えないクライアントから引き受けた仕事をこなすうちに、些細なことに腹を立てるようになった。何もかも腹立たしかった。自分が人とうまく関われないことにも、こんな仕事しかできないことにも。子供の頃のように、怒りを発散する矛先として物に当たるようになった。パソコンを置いているデスクは半壊したし、壁には新しい穴が空いた。そういう自分を顧みて余計に腹が立ったし、腹を立てた後には憂鬱になって何もしたくなくなった。自分に自信がなかった。自分がいま死んでも誰も困らないだろうと何度も考えていた。ふいに老いた自分の姿が頭を過る。老いて手が動かなくなればギターを弾けなくなる。声帯が衰えれば歌えなくなる。その時の僕に、いったい何が残っているのだろう?

 

以前、バンドマンの先輩と電話で話したことがある。話の流れで僕が精神的に落ちていることを伝えると、「20も後半の男がそんなこと言うなんて」といった旨の反応が返ってきた。ああ、その通りなんだろうなと思う。

その人は「お前の音楽はもっと売れてもいいと思う」と言ってくれていたけど、当の僕にはそんな気概はまるでなかった。ただ

「そうですねえ、たしかに、そうかもしれません」などと、曖昧に笑うしかなかった。

 

秋が深まり、母の命日が近づいてくる。

各地で小規模、大規模かかわらずさまざまなサーキットイベント、いわゆる「フェス」や大学祭が開催される。そのどこにも、僕たちは呼ばれていなかった。各地で活躍する見知った顔のバンドの告知を見て、やはり僕の音楽は誰からも必要とされていないと実感する。そんな中で、僕はおよそ4年にわたり通っていたボイストレーニングを辞めた。先生に合わせる顔がなかった。なんにも成果を出せていない自分に、なんにも新しいものを生み出せていない自分に、先生が時間を割いているという事実には、もう耐えられなかった。

 

 

それでも、音楽は僕をまた引き戻そうとする。

 

久しぶりに立ったステージには、僕には分不相応なほどに派手な照明が煌めく。

僕のテレキャスターからはみ出した音圧。

服部くんが弾く千切れそうなほどに切実な音のジャズマスター

酔っぱらった千葉さんが奏でる楽しそうな低音。

ナガトが打ち鳴らすタイトなリズム。

 

それらすべてが一点に集中するあの瞬間を、僕はやはり愛してしまっていた。

この日は演奏しながら、泣きそうになってしまった。ここにいたいと思えた。ステージの上でもっと息をしていたいと思えた。惨めな日々も、今日のためだけにあるのだとしたら、もうそれだけで、生きていてもいいと思えた。

 

もしかしたら、これは僕の思い違いなのかもしれないけれど、それでもやはり、「僕にはこれしかない」と思ってしまう瞬間が、あのステージの上には転がっている。僕はステージに上るたびにそれを拾い、糧にして生きている。

音の充足感に包まれて、僕の人生を切り取った歌を届けて、それがあるいは誰かの耳を打ち抜き、脳天に刺さる。そんな瞬間を、僕はまだ諦めきれていない。

「こんな音楽は必要ない」という諦観と、「誰もがこの歌を聞くべきだ」という傲慢を両方持っているから、僕は苦しんでいた。けれどこの日は、自分の演奏が間違いなく誰かに影響を及ぼしているという実感があった。

僕の音楽は世界を変えるわけではないし、誰かに求められているわけでもない。それでも僕はこれをやりたい。誰に嫌われても、嘲笑われても、これを人に届けて、生きていきたいとまた思ってしまう。

 

僕は知っている。

人を動かすのは、ある一日で受けた衝撃なんかじゃない。どこかのライブハウスで見たバンドから受けた一度の衝撃程度では、人は決して動き始めない。

継続的な憎しみや、怒りや、苦痛。そして誰にも言えない決心だけが、人を前進させる活力になる。

けれど、あえて言いたい。

僕は僕の音楽を、もっとたくさんの人に知らしめないといけない。ずっと、広めることを諦めていた。どうせ受け入れられないと考えていた。

けれど、もうこんな歌は必要ないだなんて、考えなくていい。だからもう一度、ここから始める。