新栄アポロベイス_20210301

 

新栄アポロベイスが2022年3月27日に閉店することが発表された。本稿はこの発表に寄せた或るバンドマンの駄文となる。 

 

僕は以前、サイフォニカというバンドをやっていた。ミニアルバムを何枚か出して、あちこちツアーに行って、そこそこ精力的に活動していたと思う。けれど、最後まで自分が納得いくような結果を出すことはできないまま、解散することになった。

 

そんな僕が、サイフォニカのギターボーカルとして何度も立ったステージが、新栄アポロベイスにある。

 

サイフォニカを始める前、僕はアポロベイスに対して強烈な憧れを抱いていた。学生の時分にアポロベイスで見たバズマザーズやthe unknown forecastのライブが忘れられなかったのかもしれない。だからなんとなく、このステージに立つことは名古屋のバンドマンとして一人前になった証であるような気がした。実際のところをいえば、アポロは演奏力の拙い若手も受け容れている懐の深いライブハウスであるのだけれど、当時の僕は本気でそう信じていた。

 

初めてアポロでライブをした日、誰と対バンしたのか、じつはもうあまり覚えていない。けれど、たしかRED DOGがいた気がする。本当に、もうあんまりあの日のことを上手く思い出せない。

 

その日は、まだ活動開始して間もないサイフォニカにしては、まずまずなライブができたように思う。けれど、ブッカーさんやPAさんにはベース・ドラムと僕のリズムが合っていないだとか、歌が下手だとか、改善すべき点をたくさん指摘された。実際、未熟なのだから仕様がない。

それでも、当時の僕は反骨心だとか向上心といったものをまだしっかり備えていたから、そんなにしょげることもなく、次までにもっとうまくなってきます、これからよろしくお願いしますなんてことを言ったような気がする。

 

その後も、アポロベイスには何度も出演させていただいた。
ブッカーの方に「お前は相変わらず歌が下手だな」と言われ、本気で落ち込む日もあった。けれどその人は、僕が作る歌をとても真摯なものだとも評してくれた。
もう一人のブッカーさんには、僕がいつも走ってしまうことや、反対にドラムやベースがゆったりリズムを取ることによるずれについてアドバイスをもらった。僕が走るのが悪い、いやギター以外のリズムが重すぎるなんて水掛け論をしたこともあったな。
PAさんはいつもサイフォニカの音作りについて相談に乗ってくれた。僕らが出来の悪いライブをした時には渋い顔をしながら、それでもバンドの音を改善するためのアドバイスをしてくれた。
アポロで共演を重ねて仲良くなったバンドもたくさんいる。the senca、飛べるトリ、the vases、屋根の上のルーニー……。
そういえばしらぬいとツーマンをやったのもアポロだし、サイフォニカとして2枚目の音源を出して企画を打ったのもアポロだ。
アルコサイトやLONEのライブを見て、自分たちよりも遥かにレベルが高い演奏に打ちひしがれたのもアポロだ。

 

思い入れがあるライブハウスに対して、こんなことをいうバンドマンがいる。

「この場所で、俺たちは最高の夜を何度も過ごしてきた。けれど同じぐらい、最低な夜だって何度も過ごしてきた。」

僕はというと、そういった言葉を放てるほど、アポロベイスに対して入り込むことはできなかったと思う。けれど確かに、あそこで過ごした時間には、良い思い出と嫌な思い出の両方がある。そして、そのどちらもが、とても大切な記憶なんだな。

 

その一方で、人はそんな大切な記憶も忘れていってしまうのだ。

ステージの上で泣きそうになりながら歌ったことも、
厄年になってから最初のライブで機材トラブルに見舞われギターの音が消えたことも、
初めて僕らを見た来場者がCDを買ってくれたことも、
スタッフさんの言葉が癇に障って苛立っていたことも、
ずっと怖そうな印象を抱いていた人と初めてまともに会話できてうれしかったことも、
他のバンド同士が既に繋がっていて居場所がなかった夜のことも、
そんな夜でも客席にいつも見に来てくださる人の顔が見えて勇気が湧いたことも、
「あなたはずっと、こういう歌を歌い続けてほしい」ってあるバンドマンに言われて確かに僕もそうでありたいと思ったことも、
打ち上げでお酒を飲んで車中泊をしたことも、
何度も共演するうちに最初は興味がなかったバンドの歌を好きになっていたことも、
そんな大好きなバンドの解散を見届けたことも。

僕は記憶力があまりよくないから、そういう思い出も全部、いつか忘れてしまうんだな。覚えていたとしても、ちょっとずつ、薄れていってしまうんだよな。

 

僕が大好きなバンドマンは、「忘れるってのは、本当はいいことなんだ」と何度も言う。けれど、最近「本当にそうなのだろうか?」と何度も考えてしまう。
確かに、消し去りたいほど苦い記憶はある。そういうことを忘れてしまえたら、当事者にとっては救いなのかもしれない。

けれど、僕には苦しくて苦しくて仕様がなかったからこそ書けた曲がたくさんある。もしも、その苦しかった記憶を忘れてしまったら、僕がこれまで書いてきた歌はどこか嘘臭いものになってしまうような気がする。

 

そうは言うけど、畢竟いつかは忘れてしまうのだろうね。僕も、僕の歌を好いてくれた人も、いつか呆けるし、いつか死んでしまう。アポロベイスのステージへ立った出演者や、あの場所で鳴る音楽を愛していたお客さんや、素晴らしい夜を作り上げるため影から支え続けたスタッフさんだって同じことだ。みんな、少しずつ忘れて、少しずついなくなる。

 

だからこそ思う。
仮に、いつかアポロのステージに立ったことを忘れてしまうのだとしても、ちゃんと自分の身体に残っているものを大切にしたいなと。

たとえば、それは何度もフロントマンとしてステージに立った経験やアポロで悔しい思いをしたからこそ練習を重ねたあの時間。
たとえば、それは強烈な個性を持つアーティストの思想を取り入れた脳や倍音の豊かなギターの音に刺された鼓膜、圧倒的な演奏を見せつけられて粟立った肌。

いろんなことを忘れてしまうのだとしても、僕らの身体には、あの空間で得た経験が残っている。染みついている。

それは、もしかしたら都合のいい解釈なのかもしれない。けれど、伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』で売れないロックバンドの楽曲が時代を超えて奇跡を起こしたように、アポロベイスで鳴った音が巡り巡って誰かの人生を少しずつ変え、狂わせていくのだとしたら。
そんな奇跡を引き起こすのは、きっといつか忘れてしまうささやかな思い出なんかじゃなく、あの空間で誰かの身体に染みついてしまった、呪いや習慣に似た何かなんじゃないかと思う。

アポロベイスで過ごしたたくさんの時間は、もう僕の身体にも染みついてしまっている。同じようにあなたにもそれが染みついていればいいなと思う。

 

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こんなことを書いたけれど、アポロが閉店するまでまだ一年はある。どこかのタイミングで演奏できたらなと思わないわけではないけれど、もうずっと出演していないし顔も出していないので都合の良いことは言えない。
けれど、自分にとってもアポロは特別な場所だったと思うので今回こんな文章を書きました。アポロベイスの皆さん、今まで本当にありがとうございました。アポロが最後の日まで素敵な夜をたくさん作れるよう願っています。