僕はニンゲンになりたかった。
我ながらおかしな名前を付けてしまった。
けれどこの言葉を聞いたときに、少しでも同じ感覚を抱いたことがある誰かに気付いてもらえるのなら、この名前は武器になり得る。そう信じている。
6月30日。「僕はニンゲンになりたかった」の初ライブ。
僕が逃げ出した、サイフォニカというバンドとしての初ライブも、じつは4年前の6月30日に行われた。
偶然とはいえ、同じ日にライブをすることになってしまったことに、複雑な気持ちもあった。
それでも僕は歌うことをやめられず、結局この日に辿り着いた。
「僕はニンゲンになりたかった」は僕のソロプロジェクトでもあり、バンドでもある。いわば正規メンバーがひとりのバンドで、ライブではサポートメンバーにバックバンドをお願いする。
今回バックバンドをお願いしたのは、大学生時代の同級生ふたりだった。
僕がサイフォニカを組む前、ペーパードライバーという名前のバンドを組んでいたのだけれど、そこでドラムを叩いてくれていたナガトくんが、今回も助けてくれた。
ベースのハットリくんは、僕のことをよく理解してくれる友達で、本当はギタリストなのにわざわざこのためにベースを買ってくれた。けれど、どうにも予定が合わなくなってしまって、このバンドで彼と一緒に演奏できるのは今日が最初で最後になりそうだった。
ふたりとも、大切な友人だ。
僕はソロ活動を始めたことで、却ってサポートメンバーへの感謝をなんども口にするようになった。
それは僕が意識していたからというのもあるけれど、それ以上に自然と口から漏れる割合が増えたことも影響している。
ライブができる。バンド形式で演奏ができる。
ただそれだけで純粋に、うれしかった。
3人でスタジオに入って、音を鳴らして、
「ああ、結構いい感じだよな。」
と言葉を交わし合って、そうしてライブハウスに向かう。
ライブハウスに着いた瞬間、懐かしい感覚でいっぱいになった。
一月ほど前に観客として訪れたはずの新栄SIX-DOGが、まるでべつの空間に思えた。
自分が今日、ここでライブをするのだという自覚が、場所への認識すら塗り替える。
迎えてくれたブッキングマネージャーのおかずくんの顔を見たら、なんとなく、僕が本来居るべき場所に帰ってきたかのような安堵を覚えた。
今日、ぼくは表現者として、ミュージシャンとして、ステージに立つことができる。ギターを弾いて、歌を歌うことができる。その場所に呼んでくれた人がいる。後ろから支えてくれるサポートメンバーがいる。そのことがただ嬉しかった。
リハーサルを終えて、出演者の方とぎこちないなりに言葉を交わして、本番を待つ。
今日のライブはいわゆるオールジャンルイベントだった。
ビジュアル系ルックのカラオケの方もいれば、アコースティックギターの達人的妙技を披露するソロギタリストもいる。聴衆を激しく煽るアグレッシブなバンドもいるかと思えば、僕らのような人によっては暗いと一蹴されかねないバンドもいて、ふしぎな取り合わせだった。
ひとつだけ申し訳ないことがあって、あまりにもこちらを真剣に見つめて歌ってくれた方がいたのだけれど、照れ臭くなっておもわず後ずさってしまった。とても心根の優しそうなひとだったから、わるいことをしてしまったなと後悔している。
僕はあまり人の顔を直視しては歌えない。いつもフロアの右から左へと人と目が合わないように視線を動かすか、或いは所在なさげにPAブースのあたりをぼんやり見つめていることが多い。だからその人のまっすぐな目が羨ましい反面、悔しかったのかもしれない。
僕はいつも以上に緊張していた。けれど、それ以上に楽しみだった。
サポートメンバーの二人はライブハウスに出演すること自体久々なのだけれど、ナガトくんが二週間も前から緊張すると言っていたのに対して、ハットリくんは僕以上に落ち着き払い、どっしりと構えていて、その対比がなんだか可笑しかった。
僕らの直前に演奏していたカモメカモネの音色の凄まじさには、圧倒されかけた。
僕の悪いくせで、またよそのバンドと自分を比較しそうになった。僕はここが勝てない、あの人の方がギターが上手い、あの人の方が声がいい、あの人の方が音がきれい、あのバンドの方がまとまりがある、あのバンドの方が……。
考え始めたところで、やめた。
僕がソロ活動を始めるときに、じぶんに誓っていたことがある。
もう周りのバンドと自分とを比較しない。
僕の母さんのような人を救うために歌う。
そして自分を救うために歌う。
自分がやりたいようにやる。
自分に嘘をつかない。
余計な修飾をしない。
フィクションを徹底的に排除する。
あとは好きなようにやる。
それを思い出して、僕は安心した。
僕はもう、誰かと自分を比べなくていい。僕がやろうとしていることを、間違っていると言う人がいるかもしれない。
けれど、僕はそれを間違っていないと信じている。表現者にとってそれ以上に大切なことなんて、あるんだろうか。
そして、ついに僕らの出番がやってきた。
入場SEを使わないのは、その方が好きだから。僕のような人間が大げさに迎え入れられることに違和感を覚えてしまうから。
何も言わず、ギターを弾き始める。
一曲目の「この世界にようこそ」は、僕の母さんについて、そして命について歌っている。
サイフォニカで長いことベースを弾いてくれていた彩菜ちゃんは、子供を授かって脱退した。その時のことを思い出しながら、彩菜ちゃん本人から聞いた話を参考にしながら書いた歌だ。
人が、この世界に生まれ落ちる様子を僕なりに捉えたこの歌は、ライブの導入を意識して作った。バーカウンターに出ていたお客さんたちが、少しずつホールに戻ってくるのが見える。
そして、「この世界にようこそ」を演奏し終えると、間髪入れずに「TNT」を始めた。
サイフォニカの頃にも演奏していたこの曲は、もとを辿れば今日ドラムを叩いているナガトくんと組んでいたバンドで作曲したものだ。
ナガトくんはずっとこの曲を気に入ってくれていて、彼のビートからもその熱意が伝わるようだった。ナガトが叩く「TNT」は、単純にBPMが上がっていることとは別の次元で、前のめりで心地よかった。
TNTを演奏し終えて、自分の指から出血していることに気付く。いつの間にか手が血まみれになっている。
少し焦りながらも、その赤色さえなんだかうれしかった。痛みはなかった。けれど、生きている。生きているのだ。
そして、今日のほかの出演者を見ていても感じたのだけれど、お客さんの反応が温かかった。
出血を心配してくれる声もあったけれど、音楽にも、MCにも、真剣に耳を傾けてくれていた。それにくわえて、拍手の音は暖色だった。
「僕はニンゲンになりたかった」としての門出の日を、今日この日に迎えられたことを本当に嬉しく思えた。
僕たちは次に、ここ最近でいちばんの問題作である、「ハリボテ」を演奏し始めた。
僕がギターを爪弾いてひと呼吸置くと、ドラムのフィルから入り、ギターのカッティングへと繋ぐ。16分音符を刻み続ける演奏を、さらに切迫させるように詰め込まれた歌詞には、どうしようもない自分の薄っぺらさを、これでもかと赤裸々に綴った。
太宰治の人間失格に多大な影響を受けたこの歌は、人によっては理解ができないし、痛い歌だと揶揄されてもなんらおかしくはない。
けれど、この歌が必要な人が必ずどこかにいると確信している。
「歪んでしまったのは世界か?それともこの心か?
人並みの笑い方も謙遜もできずに
街の広告も噂も小僧の視線さえも
人になれとわたしを突き刺す」
ハットリくんはギタリストにも関わらず、この曲のベースアレンジにかなり力を入れてくれた。けれど彼のその努力が僕にはすごく嬉しかった。
そして、次の曲はアリとキリギリス。学生の頃に作ったこの歌は、僕の中で未だにまるで色褪せてくれない。それほどの強度を持っているという、妙な自信がある。
最後の曲の前になって、僕は泣きそうになっていた。じつは今日、ほかの演者さんを見ながらすでに何度も泣きそうになっていた。
それは、表現者としてステージに帰ってくることができたからに他ならない。
今日ステージに立って、好きなことを歌って、ギターを弾いて、生きている。俺にも、生きている意味があった。
無意味に日々を浪費するだけの、つまらないことの連続でしかない人生。誰にも認めてもらえない人生。褒めてもらえない人生。失敗ばかりの人生。人の反感を買ってばかりの人生。すれ違ってばかりの人生。
ひとりで歌を書いているうちに、そんな日々にうんざりとすることはたくさんあった。
けれど、僕は本当にわがままで、勝手ながら、ここに立っていないと生きている心地がしないのだ。
「どうせうまくいかなくなるなら、どうせ壊れてしまうなら、もう何も始めなきゃいいじゃないかって、思っていました。
だけど、俺は、何度でも失敗して、何度でも逃げて、何度でも投げ出して、それでもいいと思う。また何度でも始めたらいいと思う。
俺は音楽を通して少しでもたくさんの人を救いたいと思って歌ってきました。けれど実際には俺の方が、音楽を通して出会ったたくさんの人に救われてきました。
俺はこれをやめたら自分がどうしようもないやつになってしまう気がして。
だからどれだけみっともなくても、ずるくても、卑怯でも、歌うことをやめられずにいます。
今日までのあなたがどれだけ弱かったとしても、どれだけずるいことしてきたとしても、どれだけ逃げ回っていたとしても、そんなあなたを肯定するために、今日ここで、歌っています。」
そんなことを話していたら、喉が枯れた。すこしうるさく言いすぎたかなと、終わったあとに少し悔やんだ。がさがさとした喉で歌った「グッドウィルハンティング」は、決して上手に歌えてはいなかったかもしれない。けれど、僕は自分が納得できるライブをして、ステージを降りることができた。もう、それ以上のことは必要なかった。
僕はこれからもこうやって歌っていくつもりです。
誰に許されなくとも、誰に認めてもらえなくとも、構いません。
僕は元来、どうしようもない人間です。性根のくさった男です。けれど、本当はこの世界って、どうしようもない人間ばかりじゃないですか。
僕はそんな、人の弱さのために歌いたいのです。
たくさんの人に、改めてごめんなさい。
惨憺たる形でバンドを終わらせて、それなのにすぐに僕は歌っていて。けれど僕にとってこの二ヶ月、いえ、解散を決めた日からのおよそ三ヶ月は、あまりに長すぎる時間でした。
ごめんなさ。それでももう始めてしまいました。歌うことをやめたくはありません。許して、なんて言いません。僕はこういう碌でもない人間だから、仕様がないのだ、としか僕の口からは申し上げられません。
そんな中でも、支えてくださったサポートメンバー、ブッキングマネージャー、ライブハウスのスタッフの方々、共演した演者の皆さまには、何度感謝を伝えても足りません。
そして何より、ライブを見に来てくださったあなたに。
本当に心からの、ありがとうを。
また歌いますから。そのときはぜひ聞きにきてください。
今なら、もっと素直に歌を伝えられます、きっと。
2018.06.30