2019年1月18日 新栄SiX-DOG

先日のライブレポート、上げようか悩んでいましたが、やはり毎回、これは書くべきだなと思いまして。

あまりにも自分の気持ちに素直に書いているから、読んでいて不快になるかもしれません。あの夜、僕は打ち上げで泣き出してしまって、ほかのバンドマンがまだ飲んでいる傍ら、中華料理店を抜け出してきてしまいました。

自分のことを一切許せなくなって、どこにも自分の居場所がないと感じて、たくさんの人に申し訳なくて、ひたすらに泣いていました。

いい歳をした男が、情けない。


抜け殻のようになって、迎えた朝。疲労と、自分への失望で磨耗しきった精神で書き上げた文章を、残しておこうと思います。

 

 

…………。


朝日は鈍い光を男の眼に刺した。

高速道路に沿ってつくばう道路を自動車で南下していると、朝日を左手に浴びながら走ることになる。

右手には高速道路を支える太い柱があり、左手にはまだ開店していないチェーン店や使途不明の建物が立ち並ぶ。

上を振り仰げば、高速道路に仕切られた狭い空が、男を見下ろしていた。乳褐色のようなその空の色はやわらかく、男の散漫とした意識をさらにぼんやりとさせた。


男は運転をしながらも、心此処に在らずの様相で、はじめ、考えるともなく考えていた。


昨夜の失態を、どのようにすればなかったことにできるだろう。

自分が、じぶんでないような気がしている。

長い夢を見ているようで、きっと今もまだ悪い夢の中にいて、すべて夢、夢でしかないのだ。もうはやこの世界さえ夢でしかないのだ。


その思考はとりとめもなく、この世に実在しないようなものだった。

しかし、その考えは次第に実体を帯びてきて、男は本腰を入れて「昨夜」を無かったことにする方法を案出し始めた。


どこかにタイムマシンが転がっていないだろうか?

昨日より少し前にセープポイントがあって、リロードできたりはしないだろうか?

自分の人生をシャットダウンして、システムを復元できないだろうか?

そもそも僕は本当に、今ここに生きているのだろうか?

誰がどのようにして、それを証明してきたのだろうか。僕からすれば、今見ている景色さえどこか虚ろで、すべてが手の届かない場所にあるように感ぜられる。


男がここまで思い悩んでいるのは、昨夜の自分の演奏を許せなくなってしまったからだった。

自分にとって最後となった演奏に、男は甚だ納得がいっていなかった。

男の演奏は醜態を極めた。

男の耳にはドラムスの音が聞こえていなかった。遠くでなにか音が鳴っているという実感だけがあった。男の歌とギターはなにひとつ噛み合わず、ただ宙を揺蕩い、誰の鼓膜にも響くことなく黒い床に落ちていくようだった。

指は強張り、喉はしわがれていた。エフェクターボオドを踏む足はもつれ、危うくステージから転がり落ちそうな有様だった。

なにを話していいのかもわからず、思考もまとまらず、ただ死にたかった。

話せば話すほど話題は後ろ向きに展開して、歌詞は頭から飛んだ。自分に向けられた視線がすべて攻撃的なものに見え、誰もが自分を嘲笑しているようにも感ぜられて、目を開けていても視界が真っ黒になるようだった。


そしてなにより、言い訳をしてしまったことに腹が立った。自分を殺してやりたいとさえ、思った。自分が病み上がりであることを匂わせ、さもこの結果は仕様がないのだというような態度を示した自分を、ぶち殺してやりたくなった。


彼は、自分を許せなかった。


君は悪くない、君は悪くないと歌いながら、今日のこの惨状はすべて自分の責任であると実感していた。


男は演奏を終えてから、客席の何人かと言葉を交わした。平日にも関わらず彼の音楽を聴きに来てくれていた人が何人かいて、その事実には感謝していた。


自分では微塵も評価に値しないと思っていた演奏のことを、それでも響いたと言ってくれた人の優しさを、彼は忘れたくなかった。

けれど、それ以上に「いやいや、違うんです、僕はこんなものじゃないのです。もっと本当は、きっと今日出ていた誰よりも素晴らしい演奏をご覧に入れることだって可能であるというのに、ああどうしてこんなに、こんなに。」そんな思考が頭の中を駆けずり回って、冷静になろうとするほどに自分を消し去ってしまいたくなった。


…………。


あまりにも読み物としての体裁を取っていなかったので今になって少しばかり手を加えましたが、当時の僕はこんなことを書いていたわけです。

演奏のあと、自分が惨めで仕様がなくなって、打ち上げで大泣きしたのは初めてのことだったかもしれません。僕は醜態を晒して、もう今日会った人たちに、どんな顔をして会えばいいのかもわからなくなってしまいました。


ここからは後付けになってしまうわけですが、僕はいつも、過去の自分に向けて歌を歌っている気がします。

それはもう過ぎ去っていたとしても、確かに実在した自分の姿です。

僕は誰かのために歌っているのではなく、自分を卑下して、否定して、死んでしまいたいと本気で考えている僕のために歌っているのだと考えると、不思議と振り切れた演奏ができます。


だって、僕はあなたにはなれませんから。

あなたの気持ちを、何から何まで理解することなんて、できっこありませんから。


だから、僕はせめて、どこにも逃げ場がないと感じて自分の首を絞め続けていたあの頃の自分を救い出してやりたいのです。


2019年1月18日。

僕はまた一つ、自分にとって最低の一日を作ってしまいました。

だとすると、僕はこれから先、この日の自分に向けても歌うべきなのかもしれません。

最低な夜や、忘れたいような夜がなければ、生まれない歌があり、成し得ないライブがあるということ、僕は忘れないようにしたいのです。

 

 

最後に、あの日の演奏を見てくださった方には、こんな日記を書いてしまってごめんなさい。

僕はあの日、自分をぶち殺してやりたいと思いながらステージを降りました。それでもあたたかい言葉をかけてくださったあなた方に、本当に救われました。僕にとって最低な一日が、あなたにとって何か意味のある日になっていたら、こんなに嬉しいことはありません。

また、どこかで。