夜はか細く、深く、長い

その日、わたしは流行りの感染症に侵されて、床に伏せていた。こんな時にはいつも、朝が遠い。

体内に闖入した菌を殺害するための抵抗としてわたしの身体が選択したのは、「体温をわずかに3℃ばかり上げる」という愚にも付かぬ下策だった。

その下策の巻き添えを喰らったわたしの脳みそは沸騰し、待てど眠れど朝は来ない。

しばらく眠ることに困っていなかったわたしにとって、この感覚は久しぶりだった。


心が壊れてしまっているときも、夜はどこまでも引き伸ばされた細長い線としてわたしの前に現れた。わたしは化学繊維製の洞窟の中で這い蹲り、それでもどうにか眼を閉じる。

けれど、眠らなければと焦れば焦るほど朝は遠のく。辛うじて意識を断ち切ることができたとしても、少しの沈黙のあとにすぐ眼を覚ます。さして動いていない時計の針を見て、進むことがない現実に打ちひしがれる。


こんな形で、ずっと続いていくように思える夜が、怖かった。けれど、わたしがなによりも恐れていたのは朝だった。

朝になって、世の中が正常に機能し始めたとしても、わたしは動けない。そうして、動き続ける世界から取り残されていく自分を実感するあの朝が、どうしても恐ろしかった。だから、こんなに怖い夜でさえも、終わらなければいいと思っていた。それは矛盾しているようで、ちっとも矛盾していない心の有様だった。


あんなに苦しかったこの感覚を、わたしはあえて忘れないようにしていたいと思った。あの感覚が、わたしを音楽に逃げ込ませたのだから。


そして、いまのわたしは朝になれば起き上がることができる。服を着替えることも、外へ出掛けていくこともできる。未だに世の中はよくわからない存在としてわたしの半径3cmの外側を渦巻いているけれど、わたしはそれでもその惨たらしい渦を見つめて生きていきたい。世間という生き物がわたしが勝手に作り上げた幻なのだとしたら、わたしはその幻さえ喰らって自分の作品として消化(或いは、昇華)してしまいたい。


忘れてしまいたい夜も、死んでしまいたい夜も、眠れない夜も、きっとこれから先もまだまだわたしの前に立ちはだかる。もしかしたらその先には灰色の朝しか待っていないのかもしれない。だからわたしは、その朝の向こう側にあるものを、いまも探しています。