二十三時半、独り言つ

今後の自分の指針として書いておくメモのような。

 

次に作る作品には、言葉とひたすら向き合った曲を入れてみたい。

 

今まで曲先で作ってきて、メロディの拘束性に悩まされることが多かった。それは音楽を作るうえで避けては通れない障害だと思っていたけど、ポエトリーリーディングがこれだけ一般化して確固たるジャンルを確立しているいま、自分もメロディの装甲を脱ぎ捨て、ひたすら言葉を磨き上げた楽曲を投じてみたい。

 

yomosugaraとしての方向性についても考えなくてはならない。

 

バンドになるからこそ自分が歌う理由について、もう一度立ち返って考えてみたい。結局、自分が歌う発端になっているのは、アダルトチルドレン、ボーダー、そういう話なのよね。


けれど、僕は芯が弱いから、間歇的に、「広くいろんな人に伝えたい」という気持ちと、「狭く深く伝えたい」という気持ちが交互に歩み寄ってくる。

どちらを選んだらいいのかわからなくなってしまうことがままある。

 

どちらを選ぶのが正解なのかもわからない。

 

けれど、たとえば広くいろんな人に伝わりやすい曲を作ったとして、結局僕は「君は悪くないよ」というメッセージに戻ってきてしまう気がする。

 

大前提として僕はとてつもなく弱い。だから弱い人のためにしか歌えない。けれど、それがどんな種類の弱さなのか、時々わからなくなることがある。

 

それをもう一度、見つけに行きたい。自分が謡うべき弱さがなんなのか、もう一度見つけて、それを確信に変えたい。

 

すぐ明確な答えを見つけようとするのは、かえって思考の停止した阿呆っぽい所業かもしれない。

それでも見つけたい。

自分のバンドは、なにより自分にとってかけがえのない存在にしなければならない。自分以外のだれかで代替されるような代物だと、自分で思ってしまうような音楽には決してできない。

 

ひとまず今日はもうおやすみ。