140文字じゃあ到底

今日はyomosugaraのスタジオ練習だった。

 

今日の練習は20時からだった。夜にスタジオに入るのは久しぶりだ。

 

スタジオ練習を終えてから、新栄の中華料理屋に行った。

ライブ文化がもっと盛んだったコロナ禍前は、いつ行ってもどこかのバンドマンたちが打ち上げで乱痴気騒ぎに興じていたような店だ。

 

けれど、今日そこにいたのは、バンドマンではなかった。今日我々が邂逅したのは、どこかの箱でライブをしてきたであろうダンサーの集団である。

 

声が不必要なまでに大きく、肌が浅黒く、とてつもなく品のない笑い方をしていた。何がそんなに楽しいのかわからないが、彼らが楽しそうにすればするほど、ぼくはバンドメンバーと話をするために声を張り上げるという無用な労力を強いられることになった。

なんだか同じ空間に居るだけで不愉快だった。僕はやはり大声でジャージャン麺を注文した後、声を出すのに疲れてしばらく黙っていたが、いよいよ我慢ができなくなった。

 

ぼくは、いちばん声が大きい金髪の男にグラスの水をぶちまけてやることにした。明らかに故意にやったことがわかるように、男の顔に水をぶちまけてやるつもりだった。なのに、僕はいざその時になると、あたかも足を滑らせたみたいな滑稽な芝居を打ってしまい、グラスは男の足元に落ち、男のズボンを濡らした。

男がどんな反応をするのか楽しみだった。殴られるのも悪くないと思った。

けれど、男はあろうことか、自分はなにも悪くないというのに、僕に謝ってきた。それどころか、却って転げそうになった僕が足首を捻っていないかとか、割れたグラスを踏んでいないかとか、そんなことを心配してくれた。僕は、碌でもない奴だとたかを括っていた男が想像をはるかに超える寛大な反応を見せたことに焦り、慌てて謝りながら店を後にした。

 

だったら、よかったんだけれど。

 

本当は、見ず知らずの人に水をぶちまけてはいないし、グラスも落としていない。ただ、うるさい人たちはうるさいままで、ぼくが今日食べたジャージャン麺のネギは辛いままで、今のぼくの耳朶と味蕾にその不快な余韻を残している。

 

近ごろ、狂ったように音楽をしている。

ここ数年、ここまでハイペースでライブをしていたことはないし、新曲のアイデアはいくらでも湧いてくるし、ライブをすれば周りから色んな刺激を受ける。毎日が新しい創作と発見に満ち満ちている。

 

けれど、ほとんど毎日思う。自分のこんな行動になんの意味があるのだろうか。

 

ただただ空回っているような気もする。水はある。水車もある。けれどその水車の力を必要としている人には、ここ最近は特に出会えていない気がする。

 

今日中華料理屋で出会ったあの人たちにも、たぶん届くことはないのだろうと思う。

 

けれど、そういったラベリングをして、はなから届くわけがないと諦めている自分の姿勢もやはり業腹である。

 

今日も、誰かに必要とされたい。誰かに求めてもらえる自分でありたいと思う。