帰郷

  2018年の正月。

  明けまして御目出度う御座います、といった埃が積もった言葉を交わらすために故郷に向かう人々の姿があった。こんなぼくにも、会いたい人がいた。

  人にとって故郷や、それを想う郷愁というのは宗教のようなものではなかろうか。
ぼくは今日まで常滑市に住み、生き永らえてはいるが、産まれは蒲郡市である。だからぼくの嗅覚は常滑市からすこし離れた蒲郡市にも、故郷特有のにおいを見出すのだ。

 

  常滑蒲郡には幾つか共通するところがあった。一つは、その静けさ。都会とはいえず、ど田舎ともいえない、程よく閑散とした町であること。一つは、競艇場があるということ。あぶく銭が転がる町には、どこか卑俗的な空気が漂っている。そしてもうひとつは、これが恐らくぼくという人間が構築されるにあたってもっとも影響を与えているのだが、海に面しているということであった。

 

  ぼくにとって海はいつも傍らにある、ふるさとの象徴であるのと同時に、悔恨の念が集まる大きな水溜りでもあった。蒲郡の海に対しては、殊にコンプレックスさえ持っていた。

 

  ぼくの母はもともと蒲郡の実家に住んでいたが、お見合いで出会った父と結婚して、常滑の竹内家へ嫁いできた。ぼくが保育園に上がるまでは、母も常滑市に住んでいた。父と、母と、ぼくと、弟の、何処にでも在る、唾を吐き付けたくなるほど在りふれた四人家族だった。
しかし母はぼくが保育園に通っている途中で、
常滑人とは折り合いがつかない」
と言って、半ば投げやりに蒲郡の実家に帰ってしまった。何故か弟のことも蒲郡に連れていった。……じつは母が折り合いがつかなかったのは常滑の人々ではなく、世間そのものだったのだが、それは後になってわかった。

 

  当時の自分の心情は、今となってはぼくにも解せない。母が出て行ってしばらくは、それでも母に会いたい気持ちから、父と共に足繁く蒲郡まで通っていた。純粋で子どもらしい、母を慕う子どもとして、幼年のぼくはきちんと機能していた。しかし、母を慕う気持ちとは裏腹に、一緒に住むことができない一家の在り方に、子どもながら疑問を抱くようになったのかもしれない。ぼくはいつの間にか母を憎むようになっていた。

 

  ぼくにとって母は、自分を棄て、弟を連れ去り、母親の責務から逃げ出した「あの人」になった。そしてあの人を拒絶し続けて数年が経ち、ぼくが中学一年生の頃、あの人は蒲郡の海で死んだ。アルコールを大量に摂取して海に飛び込んで、つまりは自殺だった。


  しかし幾ら母が自ら命を絶つことを選んだとしても、波打際は穏やかな顔をして母を殺した猟奇殺人鬼のようにも思えるし、海水には母の怨念がたゆたい、溶け合っているように感ぜられるのである。

 

  そんな蒲郡の町に行く時はいつも寂しい気持ちで胸が詰まりそうになる。心苦しくて、行くことをやめようかとさえなんども思う。
小さい頃から父が運転していた道を自分の運転で走るたび、状況が変わっていることを嫌でも見せ付けられるし、今はいない母のために父が何度この道を往復したのかを想像すると、吐き気さえ催すのだ。

 

  さらに、その風景もぼくを苦しませた。蒲郡の町並みはどこか寂れている。物悲しく、真新しさや、賑やかさといったものが、かけらも感じられない。町は俯いているようで、若々しさは露ほども見つけられなかった。蒲郡は死んでいるわけではなかったが、もう町の背骨は曲がりきって、今にもくたばりそうに見えて仕方がないのである。それが気分のいい時にだけ「ひなびた、いい町だなア」といい加減な感傷を抱かせるのである。

 

  正月には、やはり晴れ空が似合う。そんなことを昔は思っていたような記憶がある。今年の正月も、空はいやらしいほどに晴れていた。しかし、ぼくの気分は好くなかった。運転しながら、ぼくは故郷に対する複雑な胸中を、助手席の父に明かした。

 「蒲郡に行くときは、いつも寂しくてたまらなくなる。」

 「ああ。」

 「天気がいくら晴れていても、曇っているような感じがして、もはや景色が灰色がかって見えるんだよね。」

 「墓参りに、行くからじゃないの。」

    父の生返事は素っ気なく、情緒も感じられないものだった。ぼくは数少ない語彙と稚拙な表現で、自分の中に渦巻くものを言語化しようと試みたが、どうにもうまくはいかなかったらしい。そもそも父は感覚ではなく論理的にものを言う人間で、こんなぼくの言葉には大した感心を寄せる筈もなかった。しかしぼくはそんな父を尊敬していたし、父に聞いてもらうというそれ自体に価値があった。

 

  そこを右、次の信号を左、といった父の指示を聞きながら運転するうちに、空は少し陰ってきた。雲が日に覆い被さるとやはり景色から色彩が失くなり、ぼくがこの頃感じている灰色に、より近付いた。灰色がかった景色には安らぎさえ覚えたが、それと同時に、自分の顔色がかつてないほどに淀んでいる感覚があった。自分の目で自分の顔を直接見ることは不可能だというのに、三つ目の目玉がぼくを俯瞰していて、泥水のように淀んだぼくの肌を凝視している。ぼくは自分の感覚と、そのずっと奥にある本心が剥離しているのではないかと疑い始めていた。

 

  自動車は一家を乗せて、どこか物悲しい町並みを通り過ぎていく。その町並みが途切れると、田畑ばかりが視界に写る幸田町があり、風景にまた町並みが戻ってくる頃、蒲郡市に辿り着く。


  蒲郡市に入ってから程なくして、母の実家が見えてきた。

母の実家と書いたが、この家は数年前にリフォームをしていて、かつての面影は殆ど残っていない。庭に向けて縁側が伸び、畳張りの和室を幾つも備えた古き良き日本家屋は、洋室とテーブルと、こぎれいな書斎を内包した現代風の家に改築されていた。母のにおいが残っていないこの新築の家に、母方の祖母と、叔父が住んでいた。

 

  「おお、おお、明けまして御目出度う御座います。みんな、いらっしゃい。」
インターフォンを鳴らすと、母の兄である叔父が明るい笑顔で迎えてくれた。邪念をまるで感じ取らせず、しかし達観した、包容力のある笑みだった。ぼくの母と同じ血が通っているとは到底考えられないほどに、この叔父の笑顔にはとげがない。

 

  玄関で靴を脱いで上がると、いよいよリフォームされた家の光景に見慣れ始めている自分を発見した。叔父に先導されたぼくたち一家は、廊下を進んだ先にあるリビングにそそくさと駆け込んだ。この家に来たら、まずその部屋に行けばいいことをぼくたちはもう知っている。
母と過ごした当時とは似ても似つかない家の間取り。かつて炬燵があったあの部屋はもう無い。祖父と母を送り出したあの仏間ももう無い。あんなに登るのが怖かった、黒い木製の急な階段ももう無い。

ただ、新しい家のリビングには、ぼくがかつて食パンを焼いていたのと同じトースターだけが、侘しく坐って待っていた。

 

  叔父と話しながら、おせちを喰べた。近況をすこし話した。自分の音楽活動のことも、誇張せずに話した。叔父は雑煮を作ってくれた。味の薄い雑煮だったが、質素な叔父と祖母の生活がそのまま舌先に伝わるように思え、それはどんな言葉よりも嬉しかった。

  祖母は朝から体調を崩していて、会えなかったのが惜しい。しかしもうぼくが誰か判らなくなってしまった祖母に、それでも会いたいと願うのは何故だろう。

 

  リビングから外を見やった。リビングから見える庭だけは、かつてのまま残されている。空はまた、いやらしいほどに晴れていた。庭に植えられた松の木と、左右に立ち並ぶよその家屋に切り取られた狭い青空が、今日見た景色の中でなによりも色彩を帯びていた。田舎では見つけるのに苦労する筈もない青空が、こんなにも狭く、僅かな隙間に切り取られている。ぼくの目には何よりもその青さが際立った。

 

  叔父に別れを告げ、父と、弟と三人で、墓参りに来た。あの人、つまり母の墓は、かつて安楽寺という寺が建っていた場所の傍らににある。じつは母の遺骨は常滑市の墓に埋まっているのだが、ぼくには母の魂も骨も蒲郡に留まっているように思えて仕方がなかった。そのせいか、常滑市の墓参りには殆ど行かないというのに、蒲郡のこの墓には年に一度は必ず来るようにしていた。

  安楽寺は少し前に火事で全焼し、いまは跡形もない。何度も墓参りに来た景色はすっかり寂しくなり、三河の山から吹く風が、ただひたすらに強く頬を打ち付ける。常滑で冬場に吹く湿度の高い風ではなく、からっとした風だった。父の「蒲郡はきっとそれほど寒くない」という言葉は、まるきり外れていた。かつては父の言葉をそのまま鵜呑みにしていられたのに、この頃はあまり信憑性がないことを言うようになったことを、ぼくは厚かましくも自分の成長だと解釈していられた。

 

  母の墓は、墓地の真ん中あたりにあった。歩きながら、いい場所に祀られているなと感心する。
  数珠も持たずに、家族三人でお参りする。 各々が何を考えていたかは定かではないが、ぼくはツアーの無事等、如何にもなことを他人様に願っていた。自分の身勝手さが、冬の薄い日に照らされて浮き彫りになる。

  ふと、母の墓石の、屋根のように反り返った部分に、親指ほどの大きさの陶器のようなものを見つけた。

「とっくりばちの巣だ」

父は楽しげに話す。

「とっくり、ばち?」

「ああ、こういう徳利みたいな見た目の巣を作る蜂のことだよ。」

    二十五年、生きてきたというのに、ぼくにはまだ知らないことが多過ぎた。父と、もっと沢山話をしたいと改めて思った。全てが、限りあるものなのだから。
そんな安っぽい感想だけ、ぼくに持たせて、今年の帰郷は終わりを告げた。ぼくはもう一つの故郷に向けて、やはりそそくさと帰った。