2018/01/08 京都GROWLY

新年一発目のライブでした。

 

我々もきょうはめずらしく、前もって共演者の音源を拝聴しましたが、なんだか前向きな音が多くて、ちょうどそのとき気分が沈んでいたのもあって、「うんざりするなあ」とか高慢ちきなことを宣っていました。

 

それらの音に対する我々なりの応え方は、

兎にも角にも、誰よりもどす黒い演奏をしようじゃないか、といったものでした。

そんなものが果して誰のためになるのかは解りませんでしたが、そのときの我々のほぞは固く、それ以外の方法など取るべくもあらず。

 

そんなどす黒いライブを演るというのに、却ってぼくの心は踊っていました。ここ最近ではいちばん、機嫌が良かったといっても過言じゃあありません。

 

新しい一張羅をメンバーに否定され、その気分に多少なり水を差されはしましたが、なんのことはない、ぼくはいまこの世界で誰より正しく歪んでいるのだから、一切合切を振り払って、そうして舞台に立ちました。

 

あるいは、それはぼくの自慰でしかなかったのかも知れませんが、幸いその精は数人の心を射止めるに至りました。

 

あれほどうんざりしていた数々の前向きな音に対しても、いざそれを目の当たりにするとネガティブな感想を抱くわけでもなく、むしろ子どもに還ったかのように共演者の方々ときゃっきゃと仲睦まじく対話さえして、ぼくのような社会不適合者のポテンシャルの高さが垣間見えました。しかしそれはもしかすると、矜りを棄てた迎合といってもいいかもしれません。

 

惜しむらくは、我々の音楽が演者の方々にしか手に取って頂けなかったことにあります。

ライブハウスにいらっしゃったお客様、或いは、演者のお知り合いの方にまでシーデーを売りつけるというのは、思っていたよりもよほどハードルが高いのでした。そのハードルを容易く飛び越えられる程ではなかったという、ナマナカな自分の出来には、やはり頭が痛くなります。

 

しかし、それでもこの日のぼくは機嫌が良いのでした。何が足らなかったのかしらと、ここ最近ではまるっきり避けていた内省を試みるほどに、今日は機嫌が良いのでした。

 

めずらしいことも、あるものです。