2018/01/26 心斎橋 ヒルズパン工場

きょうのわたしは、朝からご機嫌でした。

めずらしく地元に雪が降っていたからでしょうか。それとも待ち焦がれていたテレビゲームが発売したからでしょうか。或いは、それと抱き合わせに買ったラッドウィンプスのCDが、予想を上回る上質なものであったからでしょうか。もしかしたら、そのいずれもが、ぼくの上機嫌の理由であるのかもしれませんが、すべて的はずれであるような気もしてなりません。

人のこころは、ほつれては絡まる毛玉のようなものです。
こころは、人にとって一番難解であり、殊に自分のこころほど、理解に苦しむものはありません。

わたしはわたしの上機嫌のわけを、よく理解してはいませんでした。
とにかく、その上機嫌のまま、大阪までの道のりを運転していきたい衝動に駆られて、メンバーに
「きょうはおれが運転するよ。なんだか機嫌がいいんだ。」
と、お調子のいいことを宣いました。

 

すれ違ったトラックの背中に積もっていた雪が、冬の柔らかな日差しを反射しながら、ふわりと舞い散りました。きらきら、さらさらとしたその様子が、冬に咲いた白い桜のようで、わたしはうっとりと見惚れてしまうのでした。

 

大阪までの道のりは兎に角、雪に見舞われました。粉雪であったり、牡丹雪であったり、雪は様々な表情を見せながら、その殆どが車窓に真正面からぶつかってきました。車窓にこびり付いたそれらの雪を、磨り減ったワイパーが辛うじて右へ左へと避けていく光景は、とても美しく、暴力的でもありました。

 

車内はその暴力的な白色に対して、じつに和やかでありました。サイフォニカ一同は仲睦まじくお話をして、さも家族旅行の道中かのようでした。


きょうは、心斎橋ヒルズパン工場という一際目立つお名前のライブハウスが、わたし達のコンサート会場でした。皆様のご推察の通り、やはり中でパンは作られておらず、売ってさえいませんでした。

 

大阪の心斎橋、北堀江、アメリカ村。その街並みに、粒の荒い雪がぱらぱらと降り続けていましたが、ふしぎと傘をさしている人は見当たらず、通行人のどれほどが明日、風邪を引いてしまうのだろうかと、わたしは気が気でなかったのです。

 

本日のセットリストは、特別珍しいものではありませんでしたが、ひとつだけいつもと違う約束をしていました。それは、一切喋らないということ。初の試みではありましたが、このような試行錯誤もツアーの醍醐味といえます。

 

けれども、わたしは近頃、演奏の直前に矢鱈と身体が硬直することに悩まされていました。今日もここ数回の例に漏れず、身体は強張り、肩で息を吸って吐いてを繰り返していました。呼吸は浅くなり、脈動は増え、いやな汗が滴りました。どうして近頃のわたしは、こうもお硬いのだろう。ステージ上でセッティングを終え、いざ演奏が始まるその寸前、わたしは思案の末にたどり着きました。単純なことでした。わたしは失敗を恐れすぎていたのです。
「ああ、お前はミスを怖がりすぎているんだね。」
僕はぼそりと、自分に向けて呟きました。その呟きがカナと、ルカちゃんに聞こえたかどうかは、わかりません。

 

わたしたちを覆い尽くしていた、慣れない暗幕が上がって、演奏を始めました。二十五分の、命懸けです。

歌のないイントロダクション的インストゥルメンタル(なんてハイカラな響きでしょうか)を演奏して、「TNT」に勢いよく繋げます。おや、どうもおかしい。ギターの音が、どうもリハーサルの時とはかけ離れたものに聞こえました。自分の出す音が気持ち好くないなんて、あってはならないことです。わたしは自分の音に疑問符を抱いたまま、TNTをなんとか演奏して、やはり冷や汗をかきました。
そのまま「ペルソナ」を演奏しました。ペルソナはギターが先導して始まる曲なのですが、わたしの身体はやはり強張り、不要な音を鳴らしてぺちぱちと、みっともない姿を晒した男がそこにいました。ああ、情けない。

何も喋らないとは言ったものの、演奏後にありがとうの一言も発せないというのは、それなりに辛いものがありました。水を飲んで水筒を置くと、妙な静寂が訪れました。深閑とした、張り詰めた鉄の弦のような空気。誰も自分たちに付け入らせない、そんな鋭利な空気が漂っているのです。

 

その空気を引き裂くように始めたのは、「くず」です。恐らくいまのサイフォニカの楽曲たちの中で、なによりも聞く人を選ぶ曲です。この曲を演奏することにこそ、いまの僕たちは意味を見出しました。この曲は、いつも妙に自信たっぷりに歌えるものです。
そして「セロトニン」を演奏しました。セロトニンに関しては、盛大にギターソロの音を見失いましたし、わたしはその場に立ち尽くし、ただ赤面せざるを得ないのでした。

 

その後も何も喋らずにいると、小さな拍手が起こりました。曲終わりの「ありがとう」の意味を、わたしはよく考えます。一体何に対しての「ありがとう」なのでしょう?真剣に聞いてくれたことに対してでしょうか。それとも対価を支払い、この場所を訪れてくれたことに対してでしょうか。或いは、さして興味もない、耳障りの悪い音を我慢強く聞いてくれたことに対してでしょうか。わたしはいまだにその意味がわかっていませんが、少なくとも曲終わりの「ありがとう」には、
「ここでこの曲は終わりなのですよ。どうぞお情けでもよろしいから、拍手なさって。」という意味合いが込められていることを、きょう知りました。
ですから、セロトニンを演奏し終えても何一つ言葉を発さなかったことを、皆様にお詫びしなければなりません。まことに、申し訳ありません。生きていて、ごめんなさい。

 

そんな卑屈な感情を抱えたまま、「グッドウィルハンティング」を歌いました。君は悪くない、ぼくも悪くない。そう言って欲しい。ぼくは徹頭徹尾、ただの卑屈な男としてステージを去りました。


ライブを終えてから、件の「ありがとう」の必要性について論じた我々は、CDが二枚売れたことに驚きながら、次はどんなライブをしようかと考えながら帰路に就くのでした。

 

セットリスト

1 インスト

2 TNT

3 ペルソナ

4 くず

5 セロトニン

6 グッドウィルハンティング