2018.02.08 千葉 稲毛K's Dream

今日は素敵な出会いがありました。憧れていた人に出会えて、その人は僕が想像していた通りの人でした。それがただ嬉しかったのです。

わたしの中で、さまざまな心境の変化がありました。昨日のわたしと今日のわたしとでは、まるで生まれた星さえ違うかのようです。

演奏が始まって、今日は身体を動かしたい衝動に駆られました。

久々に演奏した「えらいひとたち」。どうにも自分の中で演奏することを躊躇っていた曲ですが、久々に演ってみると存外わるくはないものです。自分の視野の狭さを痛感せざるを得ません。本当に厄介な、わたしの性です。

続いて演奏した「くず」。ステージ上、人の目を恐れることはよくあります。わたしは今日も人の目を恐れました。世間という得体の知れない、しかも実体のないものに怯えて歌いました。しかし敢えて言いましょう。それがわたしなのですから、仕様がないのです。わたしは、わたしに嘘をついた言葉は絶対にステージ上では吐きません。

続いて「ペルソナ」をご覧に入れました。きょうは前奏のアルペジオのキレが良かったと自負しております。エレキギターの音が、わたしの気持ちにきちんとついてきてくれているという実感がありました。

そして「セロトニン」。ここで気付いたのですが、きょうはここ最近のライブでいっとう、汗をかいています。額から垂れ、目に流れ込む汗。汗の量はライブの出来には決して直結しないのですけれども、わたしが尊敬するMOROHAが仰ることには、

「前回より一滴多くの汗をステージに落とせなきゃ、レコード会社も、次の仕事も、理想の生き様も即座に消える」らしいのです。

わたしはそれを真実だとは思いませんが、その心意気だけは、本物のミュージシャンたる男が持っていなければならないものだと、なんとなく考えています。汗を流せなくとも、滝のように汗を流そうという心意気が、わたしには必要なのです。ですから、セロトニンを演奏中もわたしはわたしを本物だと思えました。

そして最後の曲は「グッドウィルハンティング」です。近頃はこの曲で締めくくることが多いわけですが、何度やっても、この曲よりもわたしが本物になれる曲はないのです。予定調和に感じてしまう方がいらっしゃるなら、御免なさい。けれどわたしは器用な人間ではないし、いまはこれ以外のやり方など見当もつかないのです。わたしはMCで、思っていることをそのまま言いました。先達て、わたしが師事するお歌の先生から、人を守るために嘘が必要なこともあるといった言葉を賜り、わたしは敢えてその真逆をいってやろうと目論んだのです。わたしの人間性の破綻は、こういったところにあります。

しかし、それは却ってわたしを冷静にしてしまいました。わたしは、誰かの言葉に反骨するその行動をもってして、自分の愚かさに気付いてしまったのです。嘘をつく必要はないが、言わずともいいことはあるのだと、漸く勘付きました。

グッドウィルハンティングを演奏し終えて、きょうは拍手の音がなんだか温かいように感じました。

自分が変われば世界の見え方は変わるのだと、わたしはかねてよりそれを知っていたはずでした。しかしそれを忘れてしまうことこそ、鬱という厄介な病なのでしょう。

 

高層ビルのように高く聳やかした絶望の中に、微かに希望の火が灯るのを、わたしは見ました。