幼少時から地球温暖化の深刻さについてはよく聞かされていた。耳にはたこを通り越していかが生えてきた。そのぐらいしつこく、しつこく、何度も聞かされた。
地球温暖化の原因はオゾン層の破壊で、そのまた原因は便利になり過ぎた人間の生活だとか。
便利で快適な生活は地球を傷付ける罪で、人間は自制しなければならないといった論調の言葉を、何度聞かされたことだろう。
クーラーのない夏の教室。
白い開襟シャツから覗く小麦色の肌。
半透明の下敷きで仰ぐ女子生徒。
誰かの汗と、安っぽい制汗剤のにおい。
そんなありふれた夏の景色を、いまでも時折思い出す。
僕は幼いころから夏に魅せられていた。
大好きだったテレビ版のエヴァンゲリオンは、季節が失われ常夏になった日本が舞台だった。
金曜ロードショーで放送されると欠かさず見ていたスタジオジブリの映画には、いつも夏の焦げ臭さがこびりついていた。
とりわけトトロのような田舎に憧れていた。
劇中曲を担当する久石譲の音楽には、殊に日本の夏に対する執着を感じた。
そんなフィクションの中にある夏を愛していたから、取り立てて何か起こるわけでもないこの季節に、心のどこかで期待をしていた。
そして夏の終わりがけに地元で打ち上がる花火を見るたびに、どこか寂しい気持ちになっていた。
今年の冬は、とても暖かかった。
いつからだろう。夏がとても長く感じられるようになったのは。
フジファブリックは「短い夏が終わったのにいま、子供のころの寂しさがない」なんて歌って、当時学生だった僕にとても恐ろしい未来を予感させた。
けれどこの歳になって実感している。
夏は僕が子供だった頃よりもずっと長く、暑くなっている。
あの頃さんざ聞かされた地球温暖化の末路なのかと思い、げんなりする。
その一方で、そもそも地球温暖化は長期的な氷期・間氷期のスパンで見ればごく自然なことで、人間の生活など自然という大きな流れの中ではさして影響を及ぼしていない、なんて意見も聞いたことがある。
けれどもう一度調べてみると、やはり温暖化は人為起源のものだという記述が出てくる。
このジョウホウカシャカイは、僕みたいな阿呆にはずいぶん難しいものらしい。
夏はちっとも短いものではなくなって、もうフジファブリックの歌の意味もわからない子供が増えて、そんな風に時代が変わっていくんだろうか。
けれどいつか日本が夏しかない国になってしまったら、僕そのときはちょっとだけ、喜んでしまうかもしれない。
「あ、もう夏を思い出して死にたくならずに済むんですね。」って。