鬼滅の刃(のアニメ)が面白くない

巷で話題の「鬼滅の刃」のアニメを視聴した。

YouTubeを開けば「あなたへのおすすめ動画」として鬼滅の刃関連の動画が展開されているし、ネットフリックスで他のアニメを見ようとするとトップページで僕の視界を遮りに来る。Twitterでも鬼滅の刃に関する評判が流れてくる。鬱陶しいとおもっていた。けれど同時に、そんなに評価されているのなら一度見てみようか、とも考えた。つまり、僕の中で期待値が高すぎたのである。だからこんなタイトルで投稿する始末になった。


まずはじめに、僕自身は品性のひんまがった男である。たとえば、鬼滅の刃の第一話において、「夜になると鬼が出るから今日は泊まっていきなさい」と言って主人公を引き止める老爺がいる。

僕はこの台詞を聞いた瞬間、


「あ、このお爺さんたぶん鬼だ。主人公を食うためにこんなこと言ってるんだ」


なんてことを考える程度にはひんまがっている。


だから主人公である炭治郎の真っ直ぐで優しい性格が、嘘くさく感じてしまった。偽善的だとも思えた。

 

 

鬼滅の刃は、人を喰う「鬼」が蔓延る大正の日本を舞台にした漫画だ。過去に実在した日本の風景に"鬼"という異物を混入させた世界観は、ありがちだけれどどこか奥ゆかしい。こういう舞台設定、僕は結構好きだ。

 

 

物語は主人公の家族が鬼に惨殺され、唯一生き残った妹も鬼にされてしまうというショッキングな事件から始まる。

主人公は13歳の竈門 炭治郎(かまど たんじろう)。優しく、家族思いの純朴な少年で、彼を"いい人"と言わない人がいるとしたら、それは僕のような人を信用する力が極端にない人間ぐらいではなかろうか。


けれどこの生真面目で純朴で、いってしまえば少し"ズレている"少年と周囲の人々が繰り広げるギャグシーンに、イマイチニヤッとできなかった。ちっとも、笑えないのである。うすら寒い、古臭いとすら感じる。ギャグを描こうという作者の顔が透けて見えて、そのたびに自分の気持ちが冷えていくのがわかる。けれど、これも僕と原作者の感性の違いだから、しようがない。

この時点で視聴を止めればよかったのに、僕は既に鬼滅の刃を見ていた家族の「続きを見ればもっと面白くなるぞ」なんて言葉を聞いたばかりに、なんとか最後まで見る決心をしてしまったのだ。


しかし鬼滅の刃の中でも、僕がそれなりに好きな要素がある。それは人類の脅威である鬼が皆、もともとはひとりの人間であったという設定だ。

今は醜い姿に成り果て人を喰っている鬼にも、悲しい過去がある。人間だった頃の記憶があり、どの鬼も当時の綺麗な思い出や、トラウマに縛られて生きている。これは単純な勧善懲悪モノをあんまり好きになれない僕が、鬼滅の刃に見た唯一の希望だった。


けれど、その鬼の過去の描き方が、なんともチープなのである。


たとえば、ある屋敷で主人公が出会った鬼の「キョウガイ」は、鬼になって間もない頃まで物書きをやっていたという描写がある。

しかしよくある話で、キョウガイの作品が世に認められることはなかった。それどころか、キョウガイの知人に「お前の作品はゴミだ」と罵られる描写がある。

この罵り方に、僕は大きな違和感を覚えた。


「つまらないよ。つまらないんだよ、君の書き物は。すべてにおいて、ゴミのようだ。美しさも、儚さも、凄みもない。もう書くのは止したらどうだい?紙と万年筆の無駄遣いだよ。」


これが、その知人がキョウガイを侮辱した際の台詞だ。(アニメで聞いたものをそのまま上にメモした)


僕はこれを聞いて、あまりにも内容がない批判だと感じてしまった。

小説を読み、批判する人が、こんな稚拙な言葉を並べるだろうか?「すべてにおいて、ゴミのようだ」という一説には、作者の具体的な訴求を避けようとする姿勢が垣間見えるし、美しさや儚さ、凄みはどれも確かに文学には大切なことなのかもしれないが、適当な言葉を並べているだけなんじゃないか?と勘繰ってしまった。


そして具体性を欠いた指摘であるが故に、キョウガイがどんな作品を書いていたのかまったくわからない。

 

これでは知人の発言は「お前の作品はクソだ」と連呼しているのと大差がない。というかキョウガイ、こんな中身のない批判に怒るな…とも思ってしまう。

 

この辺りをもっとていねいに描いてくれれば、キョウガイが主人公に負けて死んでしまうところで、涙を流すこともできただろうに。もちろんキョウガイ自体はそれほど目立つ役でもないので、そんな脇役に時間を割いていられないという事情もあったのだろうが…。


そしてこの描写を見たときに、「鬼滅の刃の作者は、漫画以外のカルチャーにあまり触れていないのではないか」と考えるようになった。インプットの量が圧倒的に足りていないから、作品自体にバックボーンを感じられないのでは、と。

 

 

さらにバトルの描写も気になった。鬼滅の刃のバトルは、キャラクターに言葉で説明させ過ぎている。


特に気になったのは、主人公が東京都浅草で、二人の鬼と戦うシーン。


この二人の鬼の片割れは、いわゆる「力が発生する方向を制御する」といった能力バトルではお馴染みの異能で戦う。

僕はこの能力を聞いた瞬間に「とある魔術の禁書目録」に登場する「アクセラレータ」を思い出した。アクセラレータはすべてのベクトルを制御するといった能力の持ち主で、作中最強格のキャラクターの一人でもある。自身への攻撃はすべて反射するから核ミサイルの爆発に巻き込まれても傷一つ付かないし、触れたもののベクトルを変えて敵にぶつけるなんて戦い方もできる。けれどベクトル操作を無効化してしまう主人公に、素手のパンチだけで打ち負かされるというなんともユニークな負け方をした人物でもある。この一見無敵なようで結構な穴があるキャラクターが、僕は好きだった。


対して、鬼滅の刃に出てきたこの鬼との戦闘はどうだったかというと、「仲間の力を借り、鬼が操るベクトルを視覚化して戦う」といったものだった。


この描写が、本当に……。言ってしまえば、シュールだった。


鬼が操るベクトルは、赤い矢印で表現される。つまり、主人公がこの矢印から逃げ回るようにして戦うのである。


画面の中を所狭しと飛び回る赤い矢印を避けながら、敵に剣戟を叩き込もうと四苦八苦する主人公。

矢印に絡め取られ、地面に叩きつけられる主人公。

矢印と反対方向に力を加える技を繰り出し、衝撃を抑える主人公。

 

「え、僕は一体なにを見せられているの?」と思わずにはいられなかった。

 

しかも主人公の行動の意味を、いちいちその鬼が説明するのだ。

「チッ、矢印と反対方向に技を繰り出して、衝撃を抑えやがったか……!」

 

続いて主人公も、

「くっ、さっきよりも矢印の力が強いから、次々と技を繰り出さないと衝撃に耐えられない!」

 

なんてことを心の中で言うのである。これらはすべて視聴者へ状況を説明するためにキャラクターに喋らせているのだろう。しかし、そんなこと言わなくてもわかるよ……と思わずにはいられない。原作は漫画だが、戦闘描写は言葉ではなく絵でわかりやすく説明できた方が素敵じゃなかろうか。


このテンポの悪さ、戦闘中の無駄な饒舌さが、鬼滅の刃全体の緊張感を損ねている。損ねまくっている。

 

 

また、テンポの悪さはギャグの部分にも現れている。


これまた浅草で出会う人物で、人間に協力的な二人の鬼が登場する。名前は忘れてしまったので割愛するが、女医の鬼と、その鬼に助けられて鬼になった少年である。


この少年は、自身を救った女医の鬼に心酔している。だから女医が憂いたり、怒ったりするたびに、「今日もこのかたはお美しい!」「ああ、怒った顔もなんて麗しいのだ…!」なんて発言をする。真面目な話をしているときでも節操なくこのギャグを挟んでくるものだから、本当に始末が悪い。このギャグが受け入れられず、寒いと感じてしまう人にとっては本当に見ていて苦痛なのではなかろうか。

 

 

またこの作品は物語の運び方がスムーズではないようにも感じた。


僕は優れた物語の条件に、

「物語が登場人物を動かすのではなく、登場人物の意志や行動が物語を動かす」

という点があると考えている。


これはもっとわかりやすく言えば、登場人物が"明確な目的意識"を持って動いているかということになる。別の切り口から表現すると、"作者の都合で物語が進んでいるというご都合主義感"が薄いということが、大切な要素であると思う。


鬼滅の刃は、「鬼にされた妹を人間に戻す」という目的を持った主人公を中心として、物語を展開していく。しかし主人公の向かう先を決めるのは、彼自身の意思ではない。

 

主人公が所属する鬼殺隊のカラスが、事件が終わるたびに「次は浅草に行け」だの「傷付いたから休め」だの指示を出すのだ。主人公はその指示に従って移動を繰り返す。

本当に妹を人間に戻したければもっと主体性を持って行動しろよ、と思わずにはいられないし、何より物語がブツ切れになっているという印象すら受ける。


たとえばこれが、主人公が京都で戦った相手から得た情報によると、追い求める敵が東京の浅草にいるらしい。だから浅草に移動する。浅草に移動したら事件に巻き込まれて、偶然だが人間に協力的な鬼たちに出会う。その鬼たちが妹の手助けになりそうだが、彼らにも憎むべき敵がいて、それを討伐するために仙台に向かう。(適当)


こんな流れだったら、まあわかる。けれど違う。カラスに指示されたから、移動する。どんな敵がいるのかも分からない。妹を人間に戻すための情報があるかもわからない。けれど、とりあえずカラスの指示に脳死で従う。この流れだと、主人公にまるで主体性がないように見えないだろうか。


主人公は妹を治療するという目的がある以上に、たしかに鬼殺隊の一員ではある。けれど、組織にただ従って動く主人公は、どこか暢気に見えてしまう。どうせならこの鬼殺隊そのものがきな臭い組織で、隊員として鬼と戦ううちに組織の闇も暴かれていく…みたいな展開の方が面白そうじゃない?


しかも主人公はカラスの指示に従っているだけで、人間に協力的な貴重な鬼に会えたし、何故かラスボスにも遭遇したし、自身と同期の鬼殺隊員にも出会うのだ。ご都合主義にもほどがある。

これではカラス=作者の意志、と取られてもおかしくはないし、作者の都合で登場人物が無理矢理動かれているようにも見える。

 

 

加えて、個人的にはキャラクターデザインも好みではなかった。率直に言って主人公の羽織りはダサいと思う。15歳という年齢設定ではあるが、体格が小さいので、少年漫画の主人公にしてももう少しスタイリッシュでよかったのではないか。僕は人のことを言えるような体格の男ではないが、どうせなら漫画の中には夢を見ていたい…。

 

しかしこれに関しては完全に僕の好みで、あの絵柄をかわいいと評価する人がいてもおかしくはない。


またアニメの最終話近くになると、鬼殺隊の擁する最強の戦力たる"柱"たる9人の人物も当時するが、このキャラクターのデザインも一人ひとり格好よろしくないと感じてしまった。

 

僕は少年漫画で"主人公が太刀打ちできないような強キャラ"が現れるととてもワクワクしてしまうのだけれど、残念ながら柱の登場シーンではあまり昂らなかった。

 

 

ただ、鬼の中でも強キャラに位置するであろう累というキャラクターは結構魅力的だった。

彼は小さな子供の姿でありながら、親の立場である鬼に暴力を振るう。実際には家庭内暴力装置などの被害者になることの方が多い子供が、力によって家族を支配している。

この社会問題に対するアンチテーゼのような存在は、いびつでありながらも単なるフィクションと片付けられない恐ろしさがあった。


累はデザインも不気味で、見た目だけでその強さが伝わってくるような、ある種の存在感がある。またこの累の過去はそれなりにていねいに描かれていて、少し胸が苦しくなった。こういう魅力的な敵キャラクターがたくさん出てくるのであれば、アニメ終了後の展開は結構面白いのかもしれない。


というか、鬼滅の刃の評判を見ているとどうも回を重ねるごとに面白くなるといった意見が多い。僕はアニメ最終話までわりと退屈だったが、漫画版ではもっと話がうまく展開している可能性もある。


ただ、アニメを見た限り、鬼滅の刃は僕にとってそれほど面白くない作品だった。

 

 

ちなみにどうしてこんなことを書こうと思ったのかというと、僕の感想と世間の評判があまりにも不一致だったからである。


僕は素敵な作品に出会うと、どんなところが素晴らしいのか言葉で表現したくなる。もしも自分でうまく表現できなければ、いろんな人の感想に耳を傾けて、自分の中で咀嚼して新しい解釈を見つけたくなる。


だからこそ、ネットに落ちている鬼滅の刃を絶賛するレビューに、具体性の欠けたものが多いことが気になった。なんだか嘘くさいレビューが多いと思ったことも事実だ。(この際だからはっきり言うけどネットに落ちてる漫画のレビュー記事は業者から金もらって書いてるものがめちゃくちゃ多いから本当に信用ならない)


鬼滅の刃を絶賛している人は、はたしてあの作品のどんなところを好きになっているのだろうか。僕は、純粋に疑問を持っている。

 

もしも鬼滅の刃ファンの方がこの文章を読んでいたのなら、先に謝罪します。ごめんなさい。自分の好きな作品を非難されることは、決して気分の良いものではないでしょう。ただ、万が一この駄文をここまで読んでしまったのであれば、あの作品のどこがどう面白いのか、うまく言葉で説明していただけたらありがたいです。

 

 

※あくまで個人の感想です。鬼滅の刃を純粋に楽しんでいる読者の感性を否定する気は毛頭ありません。

 

 

追記:

アニメ化されたのはコミックスでいうところの第7巻冒頭までだったようです。先日漫画喫茶に行った時に、続きを読んでみました。そしたら思っていたよりも素直に内容が入ってくる……。ギャグもアニメで見るほど寒いとは感じません(面白いとは思いませんが)

 

つまり、僕は鬼滅の刃のアニメ版がとことん苦手だったようです。声や音がつくと原作の空気を出すのが難しいタイプの作品なのかもしれませんね。

 

しかしながら今回アニメ製作を手掛けたufortableの他の作品は素直に見ることができたたので、単純に鬼滅の刃とは相性が良くなかったんじゃ……?と思いました。

 

アニメ版以降の原作の展開はまあ気になりますし、戦闘にもそれなりに緊張感がありました。鬼の回想もなかなか心に来る。

 

ただ、それを差し引いてもやはりこの鬼滅の刃の社会現象的な人気には違和感を覚えます。

率直に言って過大評価であるとすら思います。

 

僕がこんなことを書くのは、単純に好みにハマらないという理由だけではありません。

色んな漫画、映画、アニメを見たうえで、鬼滅の刃には足らないものが多すぎると思っているから、こんなことを書いています。

 

まあ楽しんでいる人が多けりゃ経済は回るしすごく良いことではあると思うんですけど、鬼滅の刃を基準としていろんな作品の評価を下す人が現れることについては、僕はちょっと心配しています。

 

よくないと思うものによくないって言うこと、僕は大切だと感じてます。