9月1日(土)新栄SIX-DOG

 

 

8月24日のライブについて、けっして自分たちがどうしようもないライブをしたわけではなかったのだけれど、なぜかその日のことについて綴る気力が湧かなかった。

信頼できるサポートメンバーに助けていただけている。ナガトくんと千葉さんには、本当に感謝して止まない。

 

けれど翌日、どうしようもなく逃げ出したい気持ちになって、長年続けていたコンビニのアルバイトを無断欠勤した。そのまま連絡もせず、消滅することを選んだ。人間として最低だと誰かに言われれば、その通りだと思う。けれどどうしても、アルバイトに行くことさえ耐えられなくなった。

 

9月1日、「僕はニンゲンになりたかった」としては初の弾き語りライブをした。

 

ここ数日、心の調子がおかしかった。

いつもどこか遠くの、海が見える町のことを想像していて、何をしていても口から漏れてくるのは「どこか遠くに行きたい」という言葉だった。

 

どうして自分は世の中で当たり前とされていることができないのだろうかと考えるたびに、涙が止まらなくなった。

 

曲を書こうとするとフレーズは浮かんできた。けれど、それは30分も経てばすぐ陳腐なものに聞こえるようになった。

なにもしたくない。と呟いて、また僕は例の如く天井の染みを眺めていた。

 

9月1日のライブを弾き語りにしようと考えたのは8月24日のライブからあまり期間を隔てていないことがひとつ。

けれどもう一つの理由に、意地のようなものがあった。

 

僕はバンドを解散して一人になったにも関わらず、ライブはサポートメンバーを迎えてスリーピースの体制で続けている。

畢竟、僕は一人では何もできない。それはわかっている。そんなにご立派で、器用な人間ではない。

けれど、一人の力でもじゅうぶん音楽を演れると外に証明してみたかった。

 

だからこの日は一人で出ます、と店長さんに返事をして、弾き語りの練習に励んだ。

 

けれど9月1日が近付いてくると、不安で胸が詰まりそうになった。

人前で歌うことが、怖くて仕様がなかった。誰の助けも借りずに、自分の肉声と木のギターで表現することに、恐怖を覚えた。人前で歌うことを怖がっている自分はボーカリストとして出来損ないだと思った。

 

いよいよライブ当日の朝、どんよりとした鉛のような曇天は僕の心にさえ覆い被さった。

 

朝から何度も腹を下した。行きたくないとさえ思った。

どうしてこんなに歌うことが怖いのだろうと原因を探るよりも、怖がっていることに対する罪の意識が勝った。僕は部屋でひとり輾転として、さらに自分の弱さを責め続けた。

 

けれどそのとき連絡をくれた人に相談したら、

「人前で歌うのなんて、怖いに決まっている」と言ってもらえて、少し考え直した。

 

確かにそうかもしれなかった。人前で歌える人に、よくあんなことができらあと、尊敬と疑問の眼差しを向けていた過去の自分のことを思い出す。

 

それでも心が晴れやかになるわけではなく、妙に締まらない顔のまま運転して新栄を目指した。

 

ライブハウスに入ると、ブッカーさんや店長さんが笑顔で迎えてくれた。

このライブハウスには知っている人がそれなりにいるから、僕も萎縮しすぎないで済んだ。

彼らの表情が、少なからず自分の凝り固まった心をほぐしてくれた。

 

picklesというガールズバンドの方々は100本ものツアーを敢行しているらしい。僕は自分が20本程度のツアーで息も絶え絶えになっていたことを思い出し、100本ものツアーでどんな精神状態になるのか想像もできなかった。

ただ疑問に思ったので

「どうして100本もツアーを組もうと思ったのですか。」

とお伺いしてみると

「キリがいいからです。」

とあまりにもあっさりとしたお返事をなされた。

 

僕はそこに、女性の中に潜む男らしさのようなものを見出して、おもわず笑ってしまった。

 

こんなことがあって、僕は少しだけまともな精神状態でなんとかステージに上がることができた。

 

薄暗い照明の中で、ひとり細々と歌うのは、僕の性分には合っている気がした。

激しい曲もアコースティックで演奏してみたけれど、それはそれで悪くなかった。

すこし荒い演奏になってしまったけれど、終わった後には後悔よりも歌いきったことに対する爽快感のようなものが勝った。

 

どうにかこうにか自分をすこしだけ肯定できる一日となった。

同時に、エレキギターの方がやはり僕の性分には合っている気もした。

 

誰かの力を借りていたとしても、僕自身の中から生まれた音楽をきちんと演れているならそれでいいのかもしれない。

 

一人で歌うアコースティックと、僕の表現により近づくバンドサウンドと、どちらも大切にしていきたい。