2019年8月6日(火)名古屋CLUB QUATTRO

* 矢場町 交差点

クラブクアトロに向かう僕の目の前には、いつものように刺々しい世界が広がっていた。ささくれ立った建物の輪郭、嫌みなほどに蒼い街路樹、人を受け容れる余裕のない日陰。今日も夏は殺人的な陽射しで人々を灼いていた。

道を行き交う自動車や人々の背中はどこか苛立っているように見える。深呼吸して暑く重たい空気を吸い込むと、肺の中にまで夏がいきわたるようだった。

 

* クラブ・クアトロ ステージ

僕が到着する頃には、リハーサルの開始時間はとうに過ぎていた。けれど、申し訳ないと考える余裕もないほどに、僕の頭は沸騰していた。サポートメンバーが準備をしているステージに向かって、走る。

久しぶりに立ったクラブ・クアトロのステージ。そこから見た客席は、僕の記憶していたほど大きくはなかった。

それと同時に、僕はこの場所に相応しくない存在であるような気がした。周囲の人々から、無関心に限りなく近い敵意を向けられているような、あの感覚。真っ黒に染まった会場は、寂寥でごった返していた。

 

* 矢場町 喫茶店

僕は喉を潤すためにアイスココアを注文した。けれど、アイスココアは不快に喉に張り付くばかりで、ちっとも清涼感がなかった。どうしてこんなものを注文したのだろうと考えながら、結露したグラスを眺めていた。赤褐色を透かしたグラスに張り付いている無数の水滴が、透明な虫の大群に見えた。アイスココアは僕の舌の上にただただ不愉快な感触だけを残していて、却ってセルフサービスの水の有難みを痛感するばかりであった。気怠い昼下がりをサポートメンバーと過ごした。

 

* クラブ・クアトロ 客席

ライブが始まった。若々しいサウンドのバンドが音を鳴らしている。

夏に強姦されてぼんやりとした頭で、その演奏を聞くともなく聞いていた。

すると、僕の目の前に苛々した様子でサポートメンバーの千葉さんが現れた。

千葉さんは僕の耳元で

「今日はお前が辛かったことをたくさん思い出して歌ってほしい」と言った。

その言葉を聞いた瞬間、蓄膿のように頭に溜まっていた膿が取れた気がした。

 

* クラブ・クアトロ ステージ

ステージから見下ろした客席はひんやりとしていた。

暗闇の中に、数人の姿が浮かんでいる。

僕を見に来てくれた人も、中にはいた。けれど、僕には一切関心がなさそうな顔のほうが多かった。

 

腹立たしかった。

世の中が僕に関心を持たないことが心底気に食わなかった。

 

だから今日は、観客の顔が引きつるようなライブをしてやろうと思った。

嫌な印象でもいい。ただ、僕は僕のやりたいようにやって、あの白けた顔をした人間たちの記憶に残る。

 

そんな真っ当で醜悪な気持ちのまま、歌った。

どこに居ても、ここは自分の居場所ではないと感じる。

クラブ・クアトロの共演者も、スタッフも、客席にいる誰も彼も、僕にとっては敵だった。仮にそうではないのだとしても、そう見えていた。

そんな気持ちで歌っているうちに、声が枯れた。3曲目を歌い終えるころには、もう喉が潰れてしまっていた。

 

フロアの真ん中には、大きな穴が空いていた。会場にいた人間のほとんどが柵の後ろ側から僕たちのライブを見ていた。

けれど、これでいいと思った。

 

静謐な空間に、メジャーナインスコードのアルペジオを鳴らした。空間が冷えていくのがわかった。

鬱病患者と灰色の朝」という曲には千葉さんのベースの音だけを頼りに歌うシーンがある。その瞬間の会場中の張りつめて冷たい空気が、気持ちよかった。天井がどこまでも高く見えた。昼まで夏に支配されていた僕の肺の中身は、すべて入れ替わってしまっていた。

 

もう声は枯れていて、音程もろくに取れなかった。けれど、喉の奥の奥から湧き上がる怒りや諦観は、抑えられなかった。

苦しくて仕様がなかった。けれど、これ以上ない多幸感もあった。それはもしかしたら、サポートメンバーの3人が心底嬉しそうな顔で演奏していたからなのかもしれない。

客席に視線を落としても、彼らがどんな顔をして僕らの演奏を聞いているのかわからなかった。けれど、視線を上げてみると、クアトロの客席のもっと向こうまで世界が確かに広がっていて、どこまでも自分の声が届くような気がした。それが実際には届かない声だとしても、その時の僕には関係がなかった。

喉をぼろぼろにしたという後悔を抱えつつ、それでもステージの上に精いっぱいの汗と声を置いて、僕たちの演奏は終わった。

 

ステージを降りると、メンバーが満足げな表情を浮かべていた。それを見て、僕まで嬉しくなる。

 

* 某 ファミリーレストラン

帰りしなに立ち寄った店で、4人で夕飯を食べた。鉄板のうえにハンバーグと生姜焼き、ヒレカツが載った著しく偏差値の低そうなメニューを全員で注文した。

それを食べながら「これが正解だ、これが正解だ」と言っている友人を見て、またこんな夜をいくつも作っていきたいなどとおこがましいことを考えた。

 

 

セットリスト

1.この世界にようこそ

2.加害者の砂漠

3.ハリボテ

4.鬱病患者と灰色との朝

5.不正解

6.グッドウィルハンティング