2019年4月20日(土)車道3star

私は以前からある"病"に冒されていました。それは自覚症状がないままに進行することから歯周病や肝臓病とともに「沈黙の病」と並び称される病です。

これといった有効な治療方法も確立されておらず、投薬によって治癒した事例も未だ嘗てありません。

それどころか罹患者は症状が進行するに連れ、病に冒されている状態を好しと考えるようになって治療を拒むようになります。あまつさえ罹患者は「この三人でしか出せない緊張感がいいのだ……」などと嘯くようにさえなります。

つまり、私は「スリーピース依存症」に罹っていたわけです。

 

高校生のころにスリーピースバンドとして活動していたことが影響したのか、私は「自分が参加するオリジナルバンドはスリーピースでなければならない」という妙な強迫観念に囚われるようになっていました。

バンドとしてはほぼ最小単位といっても過言ではない三人編成。ギターソロを弾けばバッキングが無くなり、コードを弾けばリードギターを乗せられず、ライブをすればチケットノルマの一人あたりの負担も大きくなってしまう三人編成。一見するとこれはデメリットでしかないようにも思います。けれど私は、ステージの上に三角形を形成して作り上げるあの緊張感を、たしかに愛していました。

加えて自意識の塊であり、自身のギターの音を人様の耳にねじ込みたくて仕様がない私は、バンドにこれ以上ほかの音が入ることを耳障りだと感じていたのかもしれません。

ですから、ソロ活動を始めてもバンド形式で演奏する際には三人でステージに立つことを選んでいました。

 

けれど、2019年4月20日。私は自身にとって平成最後のライブとなるこの日に、そのスリーピースへの愛を一旦仕舞うことにしました。

 

この日は朝からスタジオで練習をしました。いつもサポートしていただいているナガトくんと千葉さんに加えて、今日はギタリストの服部くんも参加していました。

服部くんは本来ギタリストであるというのに、「僕はニンゲンになりたかった」の初ライブではベースとしてサポートをしてくれた御仁です。包容力と筋肉の塊であり、私にとって大切な友人の一人です。

今池のスタジオで音を鳴らしていると、スリーピースとは明らかに違う音圧に驚き、冷や汗をかきました。「ともすると、今宵は音を重ねること自体を楽しみすぎて、伝えたいことがおろそかになってしまうのではないか」と明後日の方向を向いた心配をするほどに充実した時間でした。僕はこの三人と一緒にステージに立てることを誇りに思いましたし、幸せだと感じました。

 

スタジオでの練習を終え、受付で会計を済ましていると、何処からか煙草のにおいが零れてきました。私はそのにおいをとても懐かしく思いました。そういえば、バンドとして最後にライブをしたのはもう二ヶ月も前のことです。

私は元来、煙草の煙が不得手なのです。眼に沁みて泪が止まらなくなることもあれば、煙を吸い込んで喉を傷めることもあります。ですから私にとって煙草の煙は忌避すべきものであるはずでした。けれど今日鼻腔に入ったそのにおいは、私にバンドマンの存在を、ライブハウスの景色を、人前で音楽を披露している時にだけ感じるあの充足感を想起させました。今日はきっと素敵な一日になるに違いありません。私は能天気にそんなことを考えるほど、落ちぶれていました。

 

我々が辿り着いた車道3starには、既に大勢の出演者が居ました。今日は9つものバンド・シンガーソングライターが出演する大所帯です。そこにはどこかで見た覚えがある方も何人か居て、私の中で懐かしさとどう話しかけていいのかわからない気まずさとがない交ぜになりました。しかし、居心地が悪いわけではありませんでした。

 

ライブが始まり、次々と出演者が現れます。

やはりこの日も私は「ホームズセブンティーン」に打ちのめされてしまいました。

三重県出身のホームズセブンティーンはいつも嘘のないライブをしています。素直で、正直で、真っ直ぐな音です。けれどそれは、単にストレートで気恥ずかしくなってしまうようなものではありません。きっといくつもの苦しい夜を乗り越えたきたという経験に裏打ちされた、そういう真っ直ぐさなのです。だから私はあの人の音楽が好きです。(勝手なことを言っているかもしれませんが……。)

今日はボーカルの方が一人で出演していました。けれど、弾き語りという形式ではなく、打ち込みのドラムスと録音したベースの音に合わせてギターで弾き語るという斬新なスタイルでした。あくまで自分はバンドとしてこのステージに立っているという貴く、強い意志が見て取れました。

私はバンドから逃げ出した身です。いろんなことを諦めて、放棄した男です。ですから一人でもステージに立ち、戦うホームズセブンティーンの姿を見て、自分の出番前だというのに泣きそうになってしまいました。

 

そうしてさまざまな感情が自分の中で渦巻いているうちに、「僕はニンゲンになりたかった」の時間がやってきました。

 

いつも上手(客席側から見て右)に位置を占めていた私も、今日はステージの中央に立ちます。上手には筋肉と安心感の塊たる服部くんが鎮座し、下手(客席側から見て左)には千葉さんがすでに酒が入った状態でベースを弾くための仕度をしています。後ろではナガトくんが緊張感のある面持ちでドラムのセッティングをしていました。私はというと、ギターアンプのコンセントをどこに挿していいかわからず、ライブハウスの音響さんを逐一呼び止めるなどしてあたふたと慌てていました。

 

今日のイベントはオープン・リハーサル形式です。これはサーキットフェスのような出演バンドが多いイベントで用いられる手法で、各バンドが演奏の直前にだけリハーサルをおこなうものです。私の中では、もうこの時点でライブが始まっているかのような高揚感がありました。

敢えて本番のセットリストにはない「加害者の砂漠」を演奏して音を確認すると、ほとんど不満のない音の仕上がりで驚いてしまいました。これ以上確認することも見当たらず、私はすぐさまライブを開始する合図を出しました。

 

 

私は近ごろ、「僕はニンゲンになりたかった」という名前について自問自答します。どうもこの名前、人に誤解されることが多いのです。

「人間でなければ、今のあなたはなんなんですか」と、たびたび聞かれます。私はそのたびに「自分のこの感覚を理解してくれない人はたくさんいるのだ」と実感して、悲しくなります。

私にとって、「人間になりたい」「人間らしくなりたい」「けれど、そうなれないから苦しい」という気持ちは、当然のように存在しているものなのです。私は毎朝同じ時間に起きて、同じ時間の電車に乗り、苦手な人間ともうまく付き合いながら仕事をするという生き方ができません。集団行動をすれば自分を見てくれる人がいないことを嘆き一人で暴走し、結果それを咎められて多くの人との関りを絶ってしまうような男です。敷かれたレールに沿って生きることもできません。何度も何度もレールから外れてきました。何度も人を裏切ってきました。私は私を人生の落第者であるように感じています。ですから、私にとって「僕はニンゲンになりたかった」という名前は私の率直な気持ちにほかなりません。そして私は、自ら命を絶った私の母も、こんなふうに世の中を見ていたように思えてならないのです。「僕はニンゲンになりたかった」という名前は、私が音楽に託した思想そのものです。

 

ですから今日は、殊にそれをわかってもらうためのライブを致しました。

メッセージがなあなあになるなんて心配は、杞憂に終わりました。私にとって音楽はどんなものよりも熱狂できる娯楽であり、生きがいであり、自分の生涯を捧げたい使命です。

 

四人で演奏する時間は、幸福でした。

ジェットコースターのようにハイスピードな曲を続けざまに演奏している最中も、サポートメンバーの方の笑顔が垣間見えて、ああ、この空間を作れただけでもよかったと多幸感に包まれました。

いつも私が弾いているフレーズを服部くんが弾いている状況は、新鮮でした。それでも私は、もうその4つ目の音を「耳障り」だとは感じませんでした。私が立つステージのうえには、私がこれまで経験したことがないような充実感があったのです。

 

そしてそんな充実感があるからこそ、私は自分が音楽に託している気持ちを、きちんと伝えておきたいと思いました。

自分が世間と折り合いがつかない人間の屑であることなんて、大っぴらに言うべきではないのかもしれません。母を最後まで許せなかったことなんて、黙っているべきなのかもしれません。けれど私は、私と同じように苦しんでいる人が世界のどこかにいるのなら、これを辞めたくありません。それに、嘘をついたり、おべっかを言ったり、そんなことをするために音楽をやっているわけでもありません。

 

ですから私は、自分に嘘をつかないために、本当に伝えたいことをきちんと伝えるために、今日新曲として「鬱病患者と灰色の朝」という曲を演奏しました。

歌いながら、私はいま、本当に伝えたかったことをちゃんと音楽として発信できているのだと再確認できました。

 

演奏を終えてステージを降り、控え室から外に飛び出したとき、四人ともが満足げな表情を浮かべていました。

夜だというのに、外は春の空気に包まれていて、肌を刺すような冷たさはもうすっかり消え去っていました。私たちはそんな生暖かい空気の中、機材を車に仕舞いこみながら、お互いの健闘を称え合いました。

 

演奏を終えてから、私はバーカウンターでビールを注文しました。苦手だったはずのアサヒスーパードライも、この日ばかりは極上の美酒であるかのように錯覚することができました。

そして私は性懲りもなく、またしても「生きていてよかったな」などと思ってしまったのです。

 

 

セットリスト

1. この世界にようこそ

2. ヒポコンデリー

3. ハリボテ

4. 鬱病患者と灰色の朝(新曲)

5. グッドウィルハンティング