グッドウィルハンティングによせて

今日は僕の楽曲について、つらつらと綴っていこうかと思います。

 

 

僕がソロ活動である「僕はニンゲンになりたかった」として最初にリリースした曲は「グッドウィルハンティング」でした。

これは僕がサイフォニカというバンドを組んでいた頃に作詞作曲したもので、音源化もしていたから新曲とは言い難いものでした。


バンドを解散した人間が過去の楽曲を演奏することをタブー視する傾向はあります。僕も以前はその考え方の人間でしたから、グッドウィルハンティングのミュージックビデオを公開することに対する後ろめたさはありました。

けれど、僕はグッドウィルハンティングを作った時から、この歌を生涯歌い続けるという確信があったし、バンドが解散したことでこの曲を殺すのは僕自身がどうしても許せなかったのです。

バンドでやってた曲の焼き直しじゃないか、という反応もありました。それは事実で、僕はなに一つ反論する言葉を持ち得ませんでした。

当時の僕は止まることをひたすら恐れていましたから、とにかく一人で活動するに当たって何か出さなければ、という焦りもあったのかもしれません。


けれど、それでもミュージックビデオとして世の中に出してよかったと思っています。僕にとってはそれだけこの曲が大切なのです。

 

 

グッドウィルハンティングは僕が東京は町田の93°というバンドと出会わなければ生まれなかった曲です。

僕は元々映画鑑賞が好きで、特に洋画を好んで見ていました。時間があるときに見ていた程度なので大した知識もなければ、映画への一家言あるわけでもありませんが、それでも映画好きな人と、この映画のあれがよかっただの、ここにしびれるだの、そんな話をする時間を愛していました。

93°のフロントマンであるカナイ君は、僕をはるかに上回る映画通でした。僕はカナイ君の作る曲も好きだし、人柄も好きでしたから、彼がお勧めする映画だってきっと好きになるに違いありません。


そんなカナイ君にお勧めしてもらった映画の一つが、ガス・ヴァン・サント監督の「グッドウィルハンティング」でした。


ここから、この映画について少し触れているので、ネタバレが嫌だという方は以下の文章は読まないようにお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

グッドウィルハンティングは大まかに説明すると、幼少期のトラウマを抱えて人に心を開けない青年と心理学者とのカウンセリングの様子を描いた映画です。

そのカウンセリングの中で、心理学者から青年に語りかける「君は悪くない、君は悪くない」という台詞を聞いたときに、僕は涙が溢れて止まらなくなりました。


僕も鬱病を患って不登校になった中学生の時分、カウンセリングに通っていた経験があります。幼少期にトラウマを植え付けられたという感覚もありました。


幼少期の僕は、母親とうまく親子関係を築くことができなかったのです。

母は幼少期に僕を置いて家を出て行ってしまい、その後ほとんど顔を合わせることはありませんでした。

僕は母親に裏切られたという感覚がありました。その感覚はずっと消えてくれません。

にも関わらず、母は僕に何通も手紙を寄越したのです。その文面は子への想いを綴る母親らしいものでした。しかし、手紙でいくらそう書いていても母親は帰ってきてはくれません。僕は母親の行動と手紙の内容との剥離に嫌悪感を抱きました。そして母親を拒絶するようになってしまったのです。


そして僕が中学一年生の時に、母は自殺しました。

後から父に聞いて知りましたが、母は何度も自殺未遂を繰り返していたそうです。

そして母は親になり切れない人間でした。だから、僕を大切にしようと思っても行動を起こせませんでした。

また、周囲の人とトラブルが絶えず、この世の中に馴染めないことに苦悩していた人間だったそうです。

けれど僕は、母が死んでしまったことを、ずっと僕のせいだと考えていました。

誰にどんな言葉をかけられようと、罪の意識は消えず、人を殺してしまったという感覚が強く残りました。


そんな意識でふらふらしながら生きていた時に、限界が来ました。そこから鬱病が始まったのです。僕はそれからずっと、心のどこかで自分を責めるようになりました。

だからこそグッドウィルハンティングという映画を見て、心を揺さぶられました。

「君は悪くない。」

僕は、この言葉をずっと待ち望んでいたのかもしれません。

こんなシンプルな言葉が、人生にとってなにより重要な意味を持つことを、その時になって知りました。


幼少期のトラウマを抱えている人々は、いつも自分を責めています。

こうなったのは自分のせいだ、自分がいい子にならなければいけない、物事が悪い方向に働く時は、いつも自分が悪いから……。


僕も同じように苦しんできた人にこれを伝えたい。どんなことがあったとしても、君は悪くない、と言葉をかけたい。言い切りたい。同じように、誰かにもそうやって肯定してほしい。心から、見せかけではない、心からの肯定がほしい。


そんなことを考えていると、メロディが降ってきました。

「君は悪くないよ、君は悪くないよ」

最初からメッセージが乗ったメロディが降りてくることは、それまでほとんどありませんでした。

僕はその時、自分の人生をかけて、この歌を人に届けなければと思ったのです。


だから、グッドウィルハンティングは僕にとって特別な曲です。

バンドであろうが、一人であろうが関係ありません。僕はこの曲を歌うために生まれてきたのだとも思いました。

もっとも、今はほかにもたくさんの曲を書いていて、それらも世に届けなければと強く願っているのですが、それでもグッドウィルハンティングという楽曲が特別であることは変わりません。


バンドを辞めた時にたくさんの人を失望させたかもしれません。それからすぐにソロの活動を始めたことによって、もっと残念に思った人もいるのかもしれません。

それは僕の落ち度ですし、取り返しがつかないことですから、謝るしかできません。

けれど今の自分がまだ伝えたいことがあって、生きていて、ライブをしていて、音楽を作っている……。

そういうことを時々でいいから、思い出してほしいのです。


そして僕は今も、この曲を通してあの日の自分と、僕が最後までどうしても許すことができなかった母に対して、伝えたいのです。


君は悪くないよ 君は悪くないよ

どんな道を歩いてたってさ

誰も君のことを責められやしないよ

だって君は悪くないから