2018年11月4日(日)上前津club Zion

ただ、気付いて欲しかった。

 

11月4日のライブは豊橋の高校生バンドが三つ、大学生バンドが一つ、そして僕らという取り合わせのイベントになった。肌艶がよく、顔にまだあどけさが残る十代の少年少女たちの中に僕のような男が混じっていると、まさに不純物だった。透明で、青い空を反射した水の中に沈んだ、澱。そんな澱のような存在である僕が通るたびに、透明な彼らは恭しく挨拶をしてくれた。その様子がなんだか可愛らしい一方で、僕には烏滸がましい処遇であると思えた。

彼らは近ごろ名前をよく聞くようになったバンドの楽曲のコピーを演奏していたり、オリジナル曲を演奏したりしていた。自分が軽音楽部として過ごした高校時代を思い出した。そういえば、初めて作曲をしたのも、彼らと同じくらいの年ごろだ……。

当時のことを思い出すと、自分は本当にひどい演奏をしていた気がする。そもそも音作りがまともではなかったし、演奏も今よりも粗雑で、歌はもっと下手くそだった。音程はろくに取れていなかったし、声の出し方もよくわかっていなかった、あのころを思い出すと、いま目の前で演奏している高校生たちはかなり技術があるように思えた。

数年後に彼らが今を振り返ったらどう思うのだろうと、ふと考えた。けれど、これは日本人特有の懐古主義に思考が侵されているように感じてしまい、すぐに考えるのをやめた。

 

僕はこの日、つい二週間ほど前にNoelのかいと君が誘ってくれたイベントに出演していた。彼らの主催ライブでもある。

 

かいと君は僕がサイフォニカとして豊橋のclub KNOTに行ったときにライブを見てくれていた高校生。そのかいと君と10月21日の弾き語りのイベントでたまたま共演して、イベントに誘っていただいた。

僕はかいと君がサイフォニカのことを覚えてくれていたのが嬉しかった。一度しか会っていないはずなのに、当時のことを覚えていて、彼もまた音楽を続けていて、そんな巡り合わせが嬉しかった。

 

音楽を続けていると、こんな偶然がたびたび起こる。音楽を続けていなかったら繋がれなかった人がたくさんいる。きれいごとかもしれないけれど、それは事実だ。

ここ数日は自分が音楽をやっている意味について考え続けていた。僕は誰より自分のために音楽をやっているつもりなのだけれど、むしろ自分を表現することが自傷行為に等しく感じられるときもあって、音楽から目を背けていた方が心穏やかに過ごせるのではないか?と考えることもある。

けれど、僕は音楽を通さなければ得られなかった繋がりに生かされている。音楽をやっていなければ友達になれなかった人がたくさんいて……。いや、もしも、そんな友達が一人もいなかったとしても、僕は音楽をしていない時の自分は好きになれない。

だからやっぱり、これは自分のためなんだと思う。

それに加えて、「音楽家として、表現者として評価されたい」という切望は、心の奥底でまだゆらゆらと燃えている。

 

本当は気付いて欲しかっただけ。誰かに気付いて欲しかった。音楽を通して、自分のような人間が生きていることを、知って欲しかっただけ。全部、自分のためなのかもしれない。けれど、強欲な僕はそのうえで人に評価されることを望んでいるから、何も伝わらなかった日は苦い顔をして家に帰ることになるし、かつて同じステージに立った同世代のミュージシャン達が名を上げていく姿に、嫉妬や羨望を抱かなかった日はない。

だから、サイフォニカとして活動していたころの僕を覚えてくれていたことが、素直に嬉しかった。嬉しかったし、誤解されたくなかった。あいつは今はバンドを辞めてしまって、ろくに音楽に熱意を注げなくなっている格好悪い男だなんて、思って欲しくなかった。だから、11月4日のイベントに出演したいと思った。ほかの誰にも伝わらなくとも、かいと君には伝えなければと思った。ステージの上で、自分の全力を出したかった。

僕があこがれるミュージシャンは、顔を見たこともないたくさんの誰かのために歌える人じゃない。その日のライブに居合わせた人たち全員に向けて歌えるような人でもない。僕は、誰か一人のために、たった一人のために歌える人が大好きで、そんな人になりたい。なんだかあいつにもこいつにも伝わるように歌うなんて、嘘くさいと感じてしまう。それができる奴はきっと器用なんだと思う。けれど、僕にはそれができない。だから、今日は是が非でもかいと君に向けて歌おうと思った。

 

僕らの出番は三番目だった。今日はソロ活動としては初めて三十分間の演奏時間をもらえたから、六曲演奏できる。六曲演奏するとかなり体力を消耗する。わけてもこの日はライブハウスのフロアが温かく、演奏する前からすこし汗をかいていた。けれど、汗をかいた分だけ熱量のあるライブができるという妙に単純な方程式を、僕は過去の経験から知っている。

僕は気付いて欲しいという一心で演奏した。生きているぞ、と何度も言った。高校生の子たちが、どんな気持ちで聞いていてくれたのか、よくわからない。けれど、僕が想像していたよりも真剣な眼差しが多かったのは、嬉しかった。機材トラブルでギターの音が少しの間飛んでしまったけれど、それもあまり気にならないぐらいの熱量をもって演奏できた。

この日は、僕が生涯やってきたライブの中でも一、二を争うほどに汗をかいた。サポートベースの千葉さんも驚くほど汗をかいていて、服のまま滝壺に飛び込んだかのようだった。サポートドラムのながと君もいい表情をしていた。この二人に僕の活動を手伝ってもらえていることも嬉しくなった。

汗の量に比例して、心が昂っていった。脳が麻痺したような感覚があった。僕はライブほど脳内麻薬が分泌される行為をひとつだって知らなかった。ある意味では、僕もその麻薬に依存している中毒者なのかもしれない。

 

脳内麻薬が止まらないまま演奏し終えて、僕は今日の演奏ができれば、誰に分かってもらえなくても構わないという気持ちにさえなった。けれどステージ上の楽器を片付けている時、照明を担当していた方が「泣きそうだった」と声をかけてくださった。誰か一人のために向けて歌っていたことが、ほかの人にも刺さっているのだとしたら、そんなに嬉しいことがあるだろうか。

 

かいと君がボーカルを務めるNoelの演奏は瑞々しかった。ステージに立ったかいと君は堂々としていて、等身大の高校生の全力を感じた。コピーも演奏していたが、オリジナル曲がなによりよかった。世の中にどれだけほかの娯楽があっても、どれだけ曲が溢れかえっても、自分の心を音楽という表現に落とし込む人はいなくならないでほしいと切に願った。

 

また一緒にライブをやろうと約束して、彼らは電車で帰って行った。

 

ライブハウスを出てから、千葉さんとながと君とラーメンを食べに行った。夜の街を通り過ぎる風は心地よく、演奏中の熱が未だ抜け切っていないかのように錯覚していた僕の身体をさらさらと撫でた。

頭の中では、フラワーカンパニーズの「深夜高速」がリピートされていた。

生きててよかった。生きててよかった。僕らは今日も、そんなふうに思える夜を探している。

 

セットリスト

1. この世界にようこそ

2. 加害者の砂漠

3. TNT

4. ハリボテ

5. アリとキリギリス

6. グッドウィルハンティング